電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

意味と価値とが正しく相克すればいいのにね

大晦日、青木・北岡戦の決定後のツイッターでの格闘技クラスタの反応、関係者を含めて、乗れるとか乗れないとか言っているのを見ていて、何か違うだろとツイートした事が結構まとまっていたので、ここにも載せておく。コピペして繋げただけで(句読点とかはいじったけど)、ちゃんとした文章になっていた。珍しい。

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そもそも、総合のマッチメークに乗れる乗れないという語り方こそがレガシーな視点だと思うのだ。今回の場合、実績的に現時点の国内ランク70キロの1位と2位の対戦なんだから、あっ決まったの、くらいのもんで。ファンが乗れないなどとイチイチ表明するのがおかしな話で、興味がないなら見なければいいだけ。何のスポーツでもいい、オリンピックやワールドカップの決勝戦に乗れるか乗れないかなどと表明する奴は滅多にいないわけで。問題はそうやって興味ない奴は見ないでいいよとやっていたら、誰も見に来なくなってしまったことで。

では、何故乗れないとか言い出す奴がいるのかと考えてみると、それは1位と2位が次の1位を争って当たり前という競技本来の、かつ興行の売りとしても成立する価値観を、日本の総合が作る事を怠ってきたからだ。強調して来なかった主催側、伝えてこなかったマスコミ、そのどっちにも責任があるとは言えるわけだが、今回でも、ああ決まったの普通だよねという反応にならずに、やたら同門(厳密にいえば違うけど)である事を強調せざるを得ないところ、誰が強いのか決めるのが格闘技という当たり前の本質以外を、わざわざ強調せざるを得なくなる事自体が、既にプロモーションが後手に回っているという証拠であって、せっかくの飯の種を最初から捨てていると言っていい。だから、いざ決まってみたら、ファンの方も情緒的な反応しか出来ずに乗れるとか乗れないとか言っている。

この話、何故未だランキング未作成のUFCがここを上手くやれているのかという事を考えると、競技がアマチュアでなくスペクテータースポーツ、つまり興行として成立する為の重要な道筋が見えてくるんだが、オジさんは面倒だから、ここから先は若い連中で考えなさいね。