電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

ナツメの木なんて見たことねえ、ひともとなんて意味わかんね

昨日の「坂の上の雲」、ツイッターの感想を眺めているだけでも面白かった。ホント色々な感想があるよなあという感じで。原作の激しい乃木ディスは相当弱められていたわけだが、自分が一番面白かったのは、原作を知らずに、右傾化(最早死語)の流れで否定的に見てる感想だったり。

乃木・東郷の日露戦争の英雄コンビの神格化は、自分の世代なら、そういう事実があったという事は当然知っているわけだが、最近の若い子はどのくらい知っているんだろうね。だって自分の世代ですら、知っているだけであって、神格化は否定されるべきモノとして語られていたし、ましてや左巻きの方がカッコいい時代だったから、乃木や東郷を褒めるような言論をしたりしたら、お前アタマおかしいんじゃねえのみたいなノリが間違いなくあったわけだ。

NHK大河ドラマとしての「坂の上の雲」、2年前の第一部の日清戦争編では、明らかにアジアに配慮的な日和見な模写があり、そこはイマイチだった。ところが今回は、相手が露助という事もあるんだろう遠慮なしで、下らない(としか思えない)配慮は感じられず、そこはよかった。配慮があったとすれば、激しい乃木ディスを抑えたくらいのモノで。

勿論、原作があれだけ乃木ディスを徹底的しているんだから、そこはもう少しハッキリ押し出すべきだとは思う。乃木・東郷の神格化を知っていて、原作のディスを知らない人って、如何に司馬遼が国民的作家とはいえ、結構いると思うんだよ。ところが、作品の作り手はどっぷり作品世界に浸かってしまうから、そういうバランス感覚が働かなくなる。乃木ディスは少し弱めておこうか的な意識ばかり働いて(その癖して児玉が指揮権を奪ったなんて事実としてないんじゃないのかという所はしっかりスルーして描き込んで)、結果として映像を見た人間から、ナショナリズム賛美かよみたいな、古臭い左巻きな批判が出る。

まあ、でもそんな事はどーでもいいんだわ。原作をどう解釈しバランスを設定するかは、制作者の恣意的なモノだしね。みんな太平の世を望んでいるのです的ファンタジーを延々垂れ流されて押し付けられる方が、個人的には激しく吐き気がするしね。多くの男は戦争が大好きで、実は女だって戦争大好きな奴がいっぱいいて、だからいつまで経っても戦争はなくならない。当たり前の事なんだが、この事実を否定したがる人が多過ぎる。

作品は制作者が好き勝手に作ればいいのである。そこに如何なる政治的なメッセージが込められていようがいまいが、受け手は好きに解釈すればいい。「坂の上の雲」を観て、あるいは読んで、おれも秋山兄弟みたいに偉い軍人になって、鬼畜米英やっつけてやるぜと思う若者がいたっていいのである。作品とはそうやって投げ出されるべきモノだし、作り手側は自由な解釈を拒否すべきではない。

というわけで、色を抑えた映像が凝りすぎて、ウチの環境だと、室内の暗いシーンなどはモアレまくりでさ、貧乏人は貧弱な映像機材でモアレてれろという、天下の国営放送様の格差社会を肯定する力強いメッセージを、自分はしっかり受け取りました。