電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

高々震災じゃねえか

普通に生きていれば、一年目の311ということで、誰だって考える事はあると思う。かと言って、ネットのそこここでは、何とか気が利いた事を言おうとして(それ自体は悪い事ではない、記念日とはそういう事をする日だ)、それをキッカケにあっちこっちで喧嘩したりして、火事と喧嘩はネットの華、それも結構、もっとやれもっとやれと思うものの、見てて嫌な気持ちになるのは、震災ネタという事で、つまらない正義を振り回す奴が多い事で、所詮、つまらない正義を振り回す奴はつまらない正義に潰される運命、ニヤニヤしてればいいのだと達観すればいいのだが中々出来ない。

つまらない正義を振り回す奴が嫌いなのは自分の価値観であって、例えば、自分がネットで喧嘩を始めると、延々昔から同じ事をやっているのに、未だまあまあと心優しく止めようとする方が現れたりして、面白いんだからそれでいい、しかも自分だけじゃなく楽しんでいる人が他にもいるのは確認済み、だけどもそうじゃない人もいて、喧嘩を不快になる方がいるのも当然、人はそうやって異なる価値観を抱えて、セメギあってナジリあって、時たま理解したつもりなって、勿論それは誤解に決まっていて、心と心はすれ違い、世界のあちらこちらで人と人は殺し合い、憎みあい、そうして極々たまに愛し合ったりして、それはやっぱり憎悪にいともたやすく変わってしまって、ああとか、ううとか嘆いたりして、がっかりして生きていくのである。