電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

つまらない子供には教えたくない

ここのところ、最近にしては珍しく忙しく、仕事か英語の勉強しかやってないので、また学習ネタになってしまうわけだが。

そもそも、何でこの英語学習ネタを書き続ける気になったかというと、自分はあと2年もすると英語がペラペラになっているわけだが(いや、ようやく最近になって、このまま少なくとも年単位で続けさえすれば、やがてそうなるだろう事を実感出来てきた)、その時、ペラペラでなかった頃、全然理解出来なかった頃の状態を忘れたくない気がするのだな。どのようにしてペラペラになったか、特に出来ない状態と出来る状態の端境を記しておきたいという気がするのだ。てか、ペラペラとかって死語じゃね? ヘラヘラ笑い。

こうやってブログに書くことの意味は他にもあって、例えば、年取っても勉強は大切、おれはちゃんとやっているという自己主張もないではない。かと言って、同年輩の真っ当に社会で活躍なさってる方々は、勉強なぞしてる暇などなく、昼は昼で熱心に働いて、夜は夜で家庭を大切になさったり、もしくは街で飲んだくれなさったり、いい歳して姉ちゃん口説きにおなりになさり奉ったりして、忙しく忙しく日々を生きていると思うので、引きこもって英語を勉強しているなんて、まるで自慢にならないと本気で思う。

では、何で英語が出来なかった状態を覚えておきたいのかといえば、子供の時の気持ちを忘れない大人でいたいじゃん。まだ世界を知らなかった時の気持ちを持ったまま、知る事の新鮮な喜びを持って新しい世界を知りたいじゃん。勿論、今の自分が世界の何を知っているのかという問題は別としても、自分が生きて知り続けた道のりを記憶しておきたいじゃん。そうして、新たに自分が知った新しい世界については、おれはキミには教えてあげない。おれだけの財産だもの。