電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

人生140文字以内

基本的に電話に出るという習慣がない。と言うと、大笑いされたり不思議がられたり呆れられたりする。そりゃ火急の用件であれば出る場合もあるし、自分からすることもあるんだが、そうこうしているうちに「あいつは電話に出ない」ということで、誰もかけてこなくなる。ありがたいことであります。

それでも、執拗に電話を繰り返して頂ける知人様などのコールには、しょうがなく出たり、極稀にこちらからかけたりすると「ああ生きてたのかよかった、いやホントに孤独死してるのかと思って」などと言われたりする。この時代、ネットというものがあるのだから、ツイッターでも覗いて頂ければ、生存確認など出来るわけだし、実際にそう言ったりする。普通に生きてるよ。

生存確認としてのブログ更新。このブログ、開始当初がそうであったように、再びそういうフェーズに突入したといっていい。勿論、このブログに自分の生存確認に来る人など、ほとんどいないことも分かっているが、一年に一人でもそういう人がいるのなら、その意味がないわけではない。

最近は、何かについて書きたいことは、チャッチャッとツイッターで呟いて終わりになってしまい、ブログで長々と文章練って書きたくなるようなことがほとんどない。というわけではなく、実は映画評などは長めな奴を書きたくなって、メモ書きをまとめ始めたりすることはよくあるんだが、それを仕上げるほどのモチベーションに欠けている状態という感じである。

例えば「アウトレイジ ビヨンド」は、いわゆる普通の面白い面白くないという表現で評価するなら、明らかに前作より面白いが、それは義理と人情秤にかけて人情に振って、つまり前作で削ぎ落とした情緒を復活させたからで、映画としての完成度は、実は遥かに前作の方が上なんじゃないかというテーゼの元に、そこそこ長い文章を書き始めてみたものの、別にそんなこと自分が書いてもなあという気持ちが、途中でムクムク湧いてきて、面倒臭くなってしまうという。

例えば「上杉隆は何故あんなに墓穴を掘り続けるのか」とか書き始めると、事実・妄想入り混じって、相当面白いことは書けるんだが、もうその断片はすべてツイッターで呟いてしまって、今更それをブログにマトメることに意味を感じないという。

例えば「スマホをギャラクシーノート2に替えて、これが久々に手に馴染んで愛着湧きまくり」なんて話も、キンドルストアのスタートやコボの話をからめて、モバイルデバイスやらタブレットやら電子書籍やらに対するそれなり定見を披露するなんてことも出来るんだが、それも一通りツイッターで呟いてしまった(画像付き)。

例えば「格闘技の業界ネタ、今だからこそ書けるあーんな事やこーんな事」なんて話も、そこそこツイートしてるが、あまりに危なくてこっちには書きたくないレベルにまで到達しております。

というわけで、人生まとめて140文字で収まってしまうという。その程度だ、おれ。