電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

ネカマに枝折れなし

佐村河内守や小保方がバキっと折れても、ネカマの勇気くんはタフ。ネカマに枝折れなし。詳細ぐぐれカス。

まあ犯した罪(?)の度合いも、叩かれ度も全然違う。そりゃそうだ。でも偉いよなあ。おれもあんなタフなハートを持ちたいと心底思う。あんなにタフなハートがあれば、受験や英語の勉強ももっと出来た筈だろと思わなくもないものの、恐らくそれは設問の立て方が間違っている。誰でも、苦にならないというか集中が続く領域・ジャンルがあって、一方どうしても出来ないモノがあって、例えば自分だとプログラムを組むという行為だったり、何だったり、長時間集中しても苦にならないモノがある一方(加齢による集中力の低下はある)、未だ英語の勉強はあまり楽しくなくて長時間出来ない。強引に義務として自分に課さないと続かない(から、細切れにして日に何回もやるとか工夫して続けるようにしているわけだが)。肉体労働なんて、もってのほか。苦痛でしかない。

けれど、アフィカスネカマをやることは苦にならない人生って、ちょっと哀しい。もっと他のことが楽しければよかったのに。

たまたま、プログラムを組むことが苦にならない自分を若い時期に発見したからこそ、ここまで食うことが出来た。幸運であったというべきだろう。尤も、それもそろそろ限界にきていて、さてこれからどうするかというところで、色々試行錯誤してるわけだが、若い頃には苦痛だったボーっとしてることが、まったく苦痛にならなくなってきたりして、そういう自分の変化を実感するのは楽しい。若い頃は、時間を無駄にしてはダメだと、ある種の強迫観念があったんだね。

最近は朝から晩までボーっとしてる。単に怠け者になっただけである。それでストレスが溜まらなくなった。だから、それでいいのだ。そうして朽ち果ていくだけの人生になってしまっても、それはそれでしょうがない。勿論、そうではないこれからも色々と構想はしている。どういう方向に変わるにせよ、変わっていくことは昔から苦手ではない。新しい自分を創ることは楽しい。

この項、珍しくオチなし。おお、早速変わってきたぞ。