電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

昭和ゴジラの伝統について考える

引き続き、ゴジラ問題である。問題なのか。

駄目ゴジラ
続・駄目ゴジラ

結局、昭和ゴジラも全部観切って、ゴジラ全28作コンプしてしまった。

パンピーな自分がいくらディスろうとも、相変わらず、ギャレス・エドワーズ版「GODZILLA」に「これぞゴジラだ!」的な、いかにも偏差値低そうなツイートが流通しているので(このままだと普通に「好評」ということで終わるよな)、憤懣やるかたないというか、アホちゃいまっか感ムラムラ収まらずというか、酷評は続くよというか、「これぞゴジラ」のゴジラとは一体何なのか、特に昭和ゴジラとは一体何なのかということを考えてみた。その伝統というか共通的な特徴を抽出してみる。平成シリーズとミレニアムシリーズもいくらでも分析出来るのだが、ヒール・ゴジラに拘った1984年のリブート以降はやはり別にして、あくまで昭和シリーズに焦点を絞る。

1)ゴジラは概ね添え物。
2)後半は怪獣同士が長々だらだら戦う。
3)軍隊はいつも間抜けで無能。
4)文明批評性は刺身のツマ程度にはある。
5)放射能の危険性は有り得ないほど軽視されている。
6)反核とか難しい話は出てこない。
7)いつも駄作。

これらの特徴から外れるところがあるのは1作目と2作目くらいで、他はほぼ上記すべてが当てはまる。ここに来て、はっと気付く。そうか、そうだったのか。ギャレス版ゴジラは、上記1)〜7)のうち、4)の文明批評性がゼロに近いことのみが惜しいが、他はすべてを丁寧に踏襲しているではないか。つまり、ハリウッドが世界がひいては人類が昭和ゴジラを認めたのである。