電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

「百円の恋」雑感 〜ジャンルにとってリアルとは何か?

スポーツ観戦は好きだし、映画も好きだ。けれど、スポーツ映画はあまり好きではない。

これってよく考えると自分でも不思議で、あまり普通ではない気がする。とんかつもカレーも好きなら、カツカレー好きだろ? ……大好きです(あくまでロースで頼むよ)。

スポーツ映画ベスト10選べと言われても選べない。そのくらい好きな映画が少ない。「メジャーリーグ」の一本目は凄く好き。あのチャーリー・シーンが眼鏡かけるだけでノーコン克服してしまうファンタジーっぷりが最高。けれどそのくらいかなあ。ロッキーは1本目が中3で、かなりガツンと来たけど、それ以外はどーもなあ(ファイナルはよかったよ)。

だってね、スポーツ映画のスポーツって大体ファンタジーじゃん。全然リアルじゃなくて。だったら、スポーツそれ自体はリアルで観た方が、面白くない? 勿論、映画の方は逆にそのファンタジーぶりが面白いわけで。

「ロッキー」でスタローンが売れて、その後巨匠のハワード・ホークスがスタローンで「勝利への脱出」というサッカー映画を撮った。この映画はかなり好き。超感動した(大人になってからも再見してまた感動した)。けどこれサッカー映画かと言われると、かなり微妙。ペレとか出てるしサッカー映画なんだが。近年では、クリント・イーストウッド南アフリカとラクビーを舞台に「インビクタス」を撮って、これまたいい映画だったけど、これをラクビー映画(としか言い様がない)と言われると、どうなのよって話と同じで。感動のポイントは、ラクビーの本質とはまるで関係ないというか。

確か三田誠広だったと思うが、数学にだって人間ドラマがあって、そういうとこから見ると数学だって面白い的なことをエッセイで書いてて、その文章を読んだ頃は、もう高校生だったと思うが、当時からそれって数学が面白いんじゃなくて、それにまつわる人間ドラマが面白いだけだよなと思っていた。

科学の世界にだって、芸術の世界にだって、当然、人間ドラマはあって、そこに着目したがるメディアの側が多い事も確かだ。分かり易いもの。

リアルの方の格闘技で言えば「彼には負けられない理由がある」的な煽りに代表される、陳腐で凡庸な人間ドラマ。観るたびにうんざりする。そんなくだらないモン観るなら、朝ドラでも観るぜ(たまにもっとくだらなかったりするが)。

そうして、ようやく話は「百円の恋」にたどり着く。32歳で何事にもやる気のないニートなオバさん(になりかけ)が、一念発起して(という感じではないのが、またミソなんだが)、ボクシングを始め、プロデビュー戦を迎える。ボクシング映画のフォーマットに沿って、あえてステロタイプに展開するから、最後はそのプロデビュー戦で、まあそれだけの映画だ。

が、しかしびっくりするほどリアルなんだな、これが。安藤サクラ、あれだけステップ踏めればプロテストいけるんではないか。そのレベルにまで到達している。

かと言って、映画としてフィクションとして考えた場合、リアルならそれでいいのか。はっきり言って、フィクションでそれやって面白くなるのか。そこが問題なんである。

ツイッターではこう書いた。文章ちょっとおかしいとこあるけど、そのまんま転載しておく。

「百円の恋」、傑作。恐らく現時点までで最も「ジョシカク」(この言葉好きじゃないけど)な作品。女子が、否、人が戦いに向かう理由など徹底的に個人的なものであり、どうでもいいのだという事を徹底的に表現するという方法論を用いる事で、この映画は圧倒的なリアルさを獲得してる。

「百円の恋」、可能な限りネタバレは避けて、まずは技術編。ボクシング映画ならラストは試合というのは定番だが、女子のデビュー戦、この内容ならリアルだと1Rで止められてしまうという点さえ棚上げすれば、とにかく、安藤サクラが肉体でリアルさを担保している。

勿論それは安藤サクラのがんばりが一番なんだが、何が上手くなったことを見せれば説得力が出るのか、よく計算されてるんだな。縄跳び、レバーブロー、何よりフットワーク(あとグローブに書いてある名前とか笑)。そこが成長していくことで、うわーリアルだ、すげーと

うわーリアルだ、すげーと素直に思わせてくれる。見事な演出。とは言え、安藤サクラ、序盤ツクリ過ぎな感。後半が圧倒的にいいし、何故ここでという、おっぱいバーンまでしてるので(おれが観てる限り「俺たちに明日はないッス」以来?)、全部許してしまうんだが。

そうして「百円の恋」、試合あとの安藤サクラの科白(内容は書かない)が最高なんだ。この映画をリアルなボクシング映画として成立させている一番重要なリアル。またね、それを受ける例によって最低男やらせればNo.1(苦笑)な新井浩文と力の入らない受けも相まって。

女子が格闘技に向かうのに、別に大した理由はいらないし、それがボクシングである必要もない。そこをきっちり描いているからこそ、余計ボクシングそれ自体の魅力まで引き立つという効果がバツグン。ファン関係者必見(選手はどう思うか知らん)。傑作「百円の恋」雑感了。

そうそう「百円の恋」、「勇気をもらいました!」「私もがんばります!」的感想から、最も遠いところにある内容なんだが、別に「勇気をもらって」もその勘違いも明らかな間違いというわけではないという意味では、充分に商業主義的なエンターテインメントだと言える。事実、入ってたしな。

では、そのボクシングの魅力とは何なのかと言われたら、やはり劇中で安藤サクラが言ってる。「何かいいよね」と。

それがリアルなわけだ。サッカーと野球、どっちが好きかと問われて、その回答に人は色々理由はつけられるけれど、どっちが面白いか何が面白いかなんて、ほとんどは、好き嫌いで片付けられてしまう。そういうリアルに意味付けしたり言葉で飾るのは、ライターや文学者の仕事。パンピーは、リアルな作品である試合(や練習の風景やエトセトラ)から触発された再生産の文章作品として、それを楽しめばいいだけである。

スポーツ、ことに格闘技の場合、意味が問われ過ぎる。何故、勝ちたいのかと。

勝ちたいから、勝ちたい。それでいいではないか。それが競技スポーツであり、格闘技であり、ボクシングである。そこをそのまま描いて、フィクションとして光輝いている。「百円の恋」って、そういうリアルだ。今年のベストワン。