電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

パクリとオマージュ

そういや、このブログは映画と大河ドラマの感想ブログみたいなもんだと思い出した。

まずは、今期の大河「おんな城主 直虎」。最低に近い出来と思っていたんだが、ようやく少し面白くなってきた。

先に、数少ない褒めるべきとこを挙げておくと、例年以上にセットが凄い。龍雲丸のアジトも凄かったし、気賀に出来た堀川城も凄い。明らかに、数十億単位の予算を使えている邦画以上。

直虎さまの柴咲コウは、元々結構しっかりした演技が出来るのに、序盤はぎゃあぎゃあワメかされてばかりで可哀想だった(ホンが悪い)。ところが、城主としての落ち着きが出てくる内容になって、ようやく抑えた演技をさせてもらえるようになって、少し味わいが出てきた感じ。そのことが面白さにも繋がっている。

相変わらず酷いのはタイトル。最初から有名映画のパロディで、例えば最新回のタイトルは「女たちの挽歌」。何が面白いんだろう。さっぱり分からない。これを初回から延々やってるわけだ。オチで「カリオストロの城」のラストの名科白をそのままパクった酷い科白をダンカンに言わせる回があったが、その時のタイトルは「徳政令の行方」。パクリ内容はタイトルとは無関係、勿論オマージュにもなってなく、単なるパクリでしかなく、しかも最悪な事に面白くない。

このカリオストロの科白パクリ以外には、内容や科白が、パロディになってる例は、現時点まではなかったと思う。いやあったのかもだけど、気付くほどではなかった。唯一「死の帳面」というタイトル回で、寿桂尼がホントにデスノートを書いていたくらいか(苦笑)。

つまり、基本パロディしてるのはタイトルだけ。別に、その事自体が悪いと言ってるのではない。単純に面白くないんである。原因が何かと言えば、連ドラとして通してみて、パロディ元の映画に何かの統一感や価値があるのかを考えてみればいい。まったくないんだな。共通しているのは、唯一「有名な映画」というだけ。結果として、タイトルのパロディは、単にネタ帖の公開にしかなってない。

これを恥ずかし毛もなく、むしろ自慢気味にやってるセンスの悪さにびっくりしてしまう。あのセットや小道具の恐ろしいまでの凝り方から、現場のスタッフの気持ちを慮ると、ただの視聴者でしかないこっちまで、どんよりして暗くなってしまう。上が馬鹿だとやってらんねえよな、うんうん。

あの眠たいだけのオープニングCGに、OKを出せる奴が作っているセンスの悪い大河としか言い様がない。

さて、映画もひとつ。米林宏昌監督「メアリと魔女の花」。

全編、ジブリ過去作のオマージュである(特にオープニングが凄い)。かつてあったようなシーンだけで、新作を成立させようとしている。これも悪いとは言わない。監督のインタビュー読んでも、あえてやってる感じ。その志はよし。けれど、この方法では、オマージュやパロディとしては効かないね。ここぞというシーンで、バシっとオマジュる(?)からこそ、おおーっと感じるのであって。

ちなみに、映画としてつまらなかったのは、肝心のメアリが、まったく可愛くなく魅力に欠けるのが最大の原因な気がする(キャラ設定より、科白が悪い)。そこがダメな上に、オマージュはやり過ぎて何も効果がなくプラマイゼロ、いや効かないオマージュは、むしろマイナス効果すら感じさせ、結局、ひとつも面白くないのである。