電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

肺癌王に、おれはなる! 20191218-19

【20191218】
進展型小細胞肺がんの進攻・その2
https://note.com/memo8/n/n9a9f910bf0a1

あっという間にツルっぱげ
https://note.com/memo8/n/ndde4b689a8f4

マイ神・本庶佑先生
https://note.com/memo8/n/nfbeb1a3377d0


【20191219】
私は家族と仲間が大嫌いだ
https://note.com/memo8/n/nab8068ef15d6

進展型小細胞肺がんの進攻・その3
https://note.com/memo8/n/n4d8c882f7ee2

肺癌王に、おれはなる! 20191217

いやー何かタイトル情けないが、インデックスとして、ここにも記事作っておこうかしらね。

 

ネットに文章書いてカネ取るほど貧乏しちゃいねえや
https://note.com/memo8/n/n464ed6339a09

進展型小細胞肺がんの進攻・その1
https://note.com/memo8/n/nfc57403d7f34

ワンピースとスター・ウォーズ、ついでに終わるおれの人生で三題話
https://note.com/memo8/n/n7d45fa82a926

同情するならこの記事買って
https://note.com/memo8/n/n1325653409bf

 

というのが、2年ぶり以上の記事であるのが情けない。

パクリとオマージュ

そういや、このブログは映画と大河ドラマの感想ブログみたいなもんだと思い出した。

まずは、今期の大河「おんな城主 直虎」。最低に近い出来と思っていたんだが、ようやく少し面白くなってきた。

先に、数少ない褒めるべきとこを挙げておくと、例年以上にセットが凄い。龍雲丸のアジトも凄かったし、気賀に出来た堀川城も凄い。明らかに、数十億単位の予算を使えている邦画以上。

直虎さまの柴咲コウは、元々結構しっかりした演技が出来るのに、序盤はぎゃあぎゃあワメかされてばかりで可哀想だった(ホンが悪い)。ところが、城主としての落ち着きが出てくる内容になって、ようやく抑えた演技をさせてもらえるようになって、少し味わいが出てきた感じ。そのことが面白さにも繋がっている。

相変わらず酷いのはタイトル。最初から有名映画のパロディで、例えば最新回のタイトルは「女たちの挽歌」。何が面白いんだろう。さっぱり分からない。これを初回から延々やってるわけだ。オチで「カリオストロの城」のラストの名科白をそのままパクった酷い科白をダンカンに言わせる回があったが、その時のタイトルは「徳政令の行方」。パクリ内容はタイトルとは無関係、勿論オマージュにもなってなく、単なるパクリでしかなく、しかも最悪な事に面白くない。

このカリオストロの科白パクリ以外には、内容や科白が、パロディになってる例は、現時点まではなかったと思う。いやあったのかもだけど、気付くほどではなかった。唯一「死の帳面」というタイトル回で、寿桂尼がホントにデスノートを書いていたくらいか(苦笑)。

つまり、基本パロディしてるのはタイトルだけ。別に、その事自体が悪いと言ってるのではない。単純に面白くないんである。原因が何かと言えば、連ドラとして通してみて、パロディ元の映画に何かの統一感や価値があるのかを考えてみればいい。まったくないんだな。共通しているのは、唯一「有名な映画」というだけ。結果として、タイトルのパロディは、単にネタ帖の公開にしかなってない。

これを恥ずかし毛もなく、むしろ自慢気味にやってるセンスの悪さにびっくりしてしまう。あのセットや小道具の恐ろしいまでの凝り方から、現場のスタッフの気持ちを慮ると、ただの視聴者でしかないこっちまで、どんよりして暗くなってしまう。上が馬鹿だとやってらんねえよな、うんうん。

あの眠たいだけのオープニングCGに、OKを出せる奴が作っているセンスの悪い大河としか言い様がない。

さて、映画もひとつ。米林宏昌監督「メアリと魔女の花」。

全編、ジブリ過去作のオマージュである(特にオープニングが凄い)。かつてあったようなシーンだけで、新作を成立させようとしている。これも悪いとは言わない。監督のインタビュー読んでも、あえてやってる感じ。その志はよし。けれど、この方法では、オマージュやパロディとしては効かないね。ここぞというシーンで、バシっとオマジュる(?)からこそ、おおーっと感じるのであって。

ちなみに、映画としてつまらなかったのは、肝心のメアリが、まったく可愛くなく魅力に欠けるのが最大の原因な気がする(キャラ設定より、科白が悪い)。そこがダメな上に、オマージュはやり過ぎて何も効果がなくプラマイゼロ、いや効かないオマージュは、むしろマイナス効果すら感じさせ、結局、ひとつも面白くないのである。

電子煙草の逆襲

せっかく、はてなブログに移行したので、記事を書いてみる。

電子煙草というと、新しモノ好きの血が騒いで、新製品が出るたびに色々手を出していたのは、もう十年前くらいの話。そもそも、紙巻煙草をやめる気がまるでないので、最近の電子煙草にもあまり興味が出なかったのである。

勿論、外に出ると電子煙草喫煙者(ほぼ「iQOS」)が増えているのは実感するし、実際に吸っている人も多くなったので、吸い心地やら何やらを訊いてみることも多かったのだが、どこか他人事。紙巻だと、最近ではベランダでさえ吸えない人も多いようだが、自分は一人者、家に帰れば普通に部屋で吸えばよい。

きっかけは湯治旅行である。6月のアタマに箱根に湯治にいった。クラシックな富士屋ホテルに泊まってみたかった。いい気分でいい旅行だったのだが、このホテル、全室禁煙なのよね。

http://twilog.org/nagao_memo8/date-170605
http://twilog.org/nagao_memo8/date-170606
http://twilog.org/nagao_memo8/date-170607

 勿論、それを覚悟して行ったのだけれど(思ったより喫煙所が多く、特に不便はなかったのだが)、行く直前に、やーこれはいざとなったら電子煙草をバスルームで吸うなりして誤魔化すかーと思ったのだ。現在、圧倒的なシェアを獲得しつつある「iQOS」ではなく(これは水蒸気の煙とはいえ、そこそこ匂いがあるのは他人が吸うソバにいれば分かる)、匂いがほぼないと宣伝されている「Ploom TECH」に興味をもったのだ。匂いがほぼないなら、公衆の場所でアレしたらダメでも、ホテルの部屋の中なら、別にいいんじゃんアレして。

比較検討材料として「iQOS」は入手できた。オフィシャルサイトに上手く登録できず、結局近所のコンビニを数件回って、最新じゃないバージョンのハードを割引価格ではなくクソ高い定価で入手。ところが、肝心の「Ploom TECH」は旅行までには入手できなかった。それでも興味は持続し、いてもたってもいられなくなり、ネットのオークションで大枚はたいて入手した(14,000円程度、現在も品薄状態は続き、1ヶ月程度経った今ではもう少し相場が上がっている感じ)。

「iQOS」はダメだった。

・不味い。
・煙が熱いのがヤだ。
・時間切りされる圧迫感がもっとヤだ。

「Ploom TECH」は、おれ的には合格。あちこちに書かれている通り、煙草吸ってる感は「iQOS」より弱い。が「iQOS」は未だにむせたりするから、返ってそのくらいの方がいいような気がする。

・iQOSよりかなり美味い。
・時間切りがないので、ひと吸いふた吸いで止められる。
・逆に延々吸ってもいられる。
・ペン回しが出来る!

問題は、充電するのが本体なので、その間は吸えないことで、従って1セットだと足りないこと。なので、2セット目を買おうとオフィシャルをウォッチし続けていたら、ネット販売の抽選は落ち続けているものの、東京でも始まったリアル販売の方で予約出来てしまった(今月末入手予定)。

そうそう、現在15箱目くらいだが、リキッドが入ってないカートリッジがひとつあったぞ(まったく煙が出ない)。この歩留まり対策とかも考えなくちゃいかんのは少し面倒かも。

誰に言ってるのかよく分からんが、紙巻やめる気は、未だまったくないけどね。

フォースと共に自爆テロ

年末にもなって、今年2度目の更新であるという体たらく。しかも、またスターウォーズの話かよという。

さて「ローグ・ワン」に対して、こう呟いた。

ローグ・ワン」。フォース教、怖い。全編これ自爆テロとバンザイアタック。まあ面白い事は確かなんだが。ギャレスも才能あんだか無いんだかよく分からないけど、少なくともセンスは感じねーな。確かに、マイナーでもっと作家性の強い作品撮って、もう一度何かを証明すべき。 #eiga

まあ、実際はもうちょっとゴチャゴチャ呟いたんだが、基本はこういうことで。

ところが「ローグ・ワン」という映画自体は、本国米国では、オルタナ右翼が上映反対運動(?)を始めてしまったらしい、つまり、そういう民衆の側の映画という解釈が当たり前らしい。

ISを生み出してしまった(?)、米国の帝国主義を棚にあげて、なーに言ってるんだかという気がするわけだが、こういう見方(つまり、ドニー・イェンに象徴されるフォース教への狂信性が気になった自分のような感覚)は、米国どころか、日本においても少数派らしい。

スターウォーズの場合、シリーズ通して、帝国軍は、ありがちな、ナチス暗喩の全体主義の圧政集団として描かれるわけだが、実際の映画の中では、デススターで都市どころか惑星ごと破壊するという圧倒的な悪事を働くものの、事がデカ過ぎて、あんまりリアリティがないというのもあるし、実際に民衆を弾圧する模写というのは、ほとんど描かれないのもあって、帝国ってそんなに悪いんですか感が結構あって。

まあ、所詮がスペースオペラだから、帝国は最初から悪であって、そこに戦いを挑む反乱軍の神話だというのが、物語の基本構造でもあるので、そこに文句つけてもしょうがないと思うんだが、フォースだって、結局、理「力」という力なんである。事実エピソードの2や3あたりでは、選民であるジェダイが共和国を治めていたりして、ナチスが左側からスタートしたように、帝国軍は、実は帝国的要素よりも最初は左(つまり権力簒奪の過程においては民衆の側)で気がつきゃ圧政を行う独裁者という可能性はかなり強そうにみえる。第一、絶対悪のシスやベイダーだって、フォースのダークサイドだもんな。

要は、フォースなんてなきゃ、みんな幸福になれそうな気がしないでもないのである。

フォースも希望も、帝国の側にだってあるわけだしなあという、何かあんまりオチずに〆らない話で、今年を仕舞っておく。


【追記】

エピソード5を観ていたら、ローグ2やら3やら出てきて、つまり「ローグ・ワン」とは「爆弾三勇士」とか「死んでもラッパを離しませんでした」と同じである事に気付く。控えめに言っても硫黄島星条旗だ。やっぱ、フォース教、恐い。

スターウォーズとロッキーどっちが強いか、あるいはフォースの隔世遺伝

スターウォーズ フォースの覚醒」と「クリード」が、両方とも本歌取りの面白さにも関らず、何故か両方褒めてる人は(語りたがりのツイッターにおけるマニア層には)あんまりいないで、どちらかを褒める人はどちらかを貶すというパターンが多いようで面白い。御多分に洩もれず、自分は「SW フォースの覚醒」はシリーズNo.1の傑作じゃね? で「クリード」の方は泣けたけどベタ過ぎで臭せーよというもの(少数派な気が)。

突っ込もうと思えば突っ込めるところは、どちらもかなりあることも確かで、一人きりでハングリーに育って、日常的に棒振り回していたとはいえ、レイ強過ぎだろ(逆に言えばダークサイドのパワーはあんなもんかよ)とか、同じジムの選手をカマセに使おうとするだけならまだアレなんだが、ロクにプロ実績ない奴を自ジムのホープ(しかも実の息子)にぶつけるのはさすがにどうなの(な挙句ホープ惨敗)とか。まー映画だからね。観てる最中(加えて翌日くらいまで)、気持ちよくさせてくれればいいとも思うので、この当たりはどうでもいい。

繰り返すが共に本歌取りの面白さなんである。繰り返しネタを微妙に変形してブッ込んでくるからこそ、昔のを観てると余計に楽しめる。

んじゃ本歌取りの部分を離れて、お話の構造はどうなのというところを比べてみる。

端的に要約してしまえば「SW フォースの覚醒」は、自分は持たざる者と思いハングリーに生きてきた少女が、実は銀河イチの持ってる者で、さらに高みを目指すと決意するところまでを描いていて、方や「クリード」は、幼少期こそ孤独でハングリーだったがある時期から何不自由なく育ったものの、心にダークサイドな劣等感を抱えていて、それをボクはここにいていいんだと晴らす話だ。

ツイッターで呟いたけど、「クリード」は構造が名作マンガ「がんばれ元気」に似ている。似ているんだが、元気くんは心にダークサイドな部分を抱えてない(ところが先行する「明日のジョー」の裏をきれいに取っている)。ハングリーだった時代ですら、いい思い出として抱えていて、どこまでも前向きだ。ところが「クリード」は違うんだな。結構ウジウジしてる。おれはどーせ間違って生まれてきたんだ的に。一皮剥けばシンジくんそのもの。

そこが嫌だからこそ(勿論だからこそ好きという人もいるだろう)、話がベタ過ぎだろとか、彼女の存在自体が最大のカマセとか、そういう部分でイチイチ冷めてきちゃうんだな。ボクはここにいていいんだ話はそういう映画で観る。ファンタジーなんだから、貴種流離でいいじゃん、持ってる奴は最初から超持ってるで。

勿論「SW フォースの覚醒」がいいのは、レイ役のデイジー・リドリーナタリー・ポートマン顔(もっとはっきり言えばおれのキーラにクリソツ)ってことなのは言うまでもないんだが。覚醒遺伝、否、隔世遺伝したんだね。このオチ酷い。

身体を作ったら次は頭を作って最後は作品を作りたい

うーん、去年は全然ブログを更新しなかった。ツイッターでそこそこ書きたい欲が満たされてしまうのと、それどころじゃない精神的圧迫感があったというのも確かで。その結果としては、一応これ。

https://twitter.com/nagao_memo8/status/682431654019739648

三十代の半ばだったと思うが、ジーパン(という呼ぶのも、何だかもう恥ずかしさがなくなってきた)が30インチでキツくなり、31を飛ばして一気に32インチにした。で、一生これ以上のサイズにはならないと。しかしだ、これがここ数年かなり厳しかったのよね。一番上のボタンが留めると苦しかったり。無理して留めるとその上に余ったお腹が乗ってて。映画館で映画観る時など、見始める時に盛大にボタン外してた(リーバイの501が好きなので前は全部ボタン)。

これが32インチがブカブカになり31インチに落とした。なのでついでに一生の誓いを修正した。もう32インチにしは一生しない。つまり31インチを維持する。今のところまだ余裕がある。多分30インチで大丈夫なんだが、あんまりタイトに履きたくないのよねジーパンを。楽に履けないジーパンはおれ的にはジーパンではないという感じで。

心臓を壊したお陰で(と言ってもういいと思う)、明らかに健康に意識的になり、結果として身体作りが出来た。これからは攻めじゃなく守りになるので、あまり楽しくない戦いになっていくわけだが、まあ何とかする。

身体だけ作っても、アタマすっからかんで、馬鹿になっては意味ないので、英語の勉強は地味ならコツコツ続けていた。英語だけじゃなく、この歳になっても何でも学ぶという意識を自分の中に叩き込んだつもりもある。記憶力の衰えは相変わらず厳しいから、英語みたいに、憶えるという要素が必要なことは益々ツラくなっていくばかりだが、今年からさらに頭脳的には攻めに回る。肉体的には守りの戦いになっていく分。

あと何年残されているのか、もう秒読みに入っている感が相変わらず強い。あと10年、いや12年で65歳だ。そのあたりで燃え尽きたい。その為には、もうホントに時間がない。攻めないと。

そろそろ、中年ではなく初老と言われておかしくない歳だ。白髪も相当増えた。けれど結構燃えているのだ。がんがん行くぜ。諸々。

極私的音楽映画ベスト10

毎年恒例、washburn1975さんのベスト10今年は音楽映画。
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20151031

ちょっと詳細内容書く時間がないんだが、それは年内にこってりした奴書くとして、取り合えず順位のみ(かなり練った)。

1位)「ヘルプ! 四人はアイドル」1965年 リチャード・レスター
2位)「鴛鴦歌合戦」1939年 マキノ正博
3位)「サウンド・オブ・ミュージック」1965年 ロバート・ワイズ
4位)「味園ユニバース」2015年 山下敦弘
5位)「ストリート・オブ・ザ・ファイヤー」1984ウォルター・ヒル
6位)「血と砂」1965年 岡本喜八
7位)「ハーダー・ゼイ・カム」1973年 ペリー・ヘンゼル
8位)「リンダリンダリンダ」2005年 山下敦弘
9位)「ブルース・ブラザーズ」1980年 ジョン・ランディス
10位)「ソラニン」2010年 三木孝浩

詳細後日。

いやー映画って本当にいいもんですね!(お茶濁し)。
詳細は年内に絶対書く!(いばるな)。

荒れ野の70年(なのか?)

何かざっくり検索かけても、ヴァイツゼッカーの名演説と関連で、今回の安倍パイセンの談話を語ってるのを見かけないので、ツイッターで呟いたままを、そのままこっちにも載せておく。

首相談話、嫌いじゃないな。右顧左眄じゃなく、バランス取れてると表現したい感じ。パイセンがんばった。

てかパイセン単に成蹊出でモノ知らないお坊ちゃんなんだから、そんなこと言うとこうなっちゃいますよと優しく諭してくれる説得力ある人がソバにいれば、そんなに暴走しない気がし始めた。

真っ向からヴァイツゼッカーの歴史的談話に対立する内容を持ちながら、結構謙虚で謝ってるという。

戦後生まれのドイツ人が、ヒトラーとナチの犯罪の責任を取り続けなくちゃいかんのかと言われたら、そりゃ違うだろとは思うので、ここは安倍パイセンに賛成。

大体、国というか、時の権力がやったことの責任を、後から生まれた末端の庶民が取らなくちゃいけないって、それはさすがに違うと思う。

んじゃ、おめーはドイツ人の若いの捕まえてユダヤ殺したろって責めるのかって話だよな。おれの知ってるドイツ人みんないい奴だぜ(一人も知らないけど)。

やっぱ今回の安倍パイセンの談話は、ヴァイツゼッカーを意識してるんだな。構成そっくりだわー。/「荒れ野の40年 ワイツゼッカー連邦大統領演説全文」 http://r.binb.jp/epm/e1_6434_07022015122740/

ヴァイツゼッカーにあって安部パイセンにないのはここ。「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります」。

おれからすれば、日本の罪を引き受けるのは、日本人だけではなく、世界中の人間である筈だというのは、当たり前の感情。それを政治家がどう政治的に表現するか。その意味で、今回のスピーチライターは充分がんばった。

おっぱいこそが映画だ! 〜極私的おっぱい映画ベストテン

久々、映画ベストテンに参加。

映画ベストテン・番外編「おっぱい映画ベストテン」
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20150424

まずはベストテンをあげてしまおう。

1位)「ミッドナイト・エクスプレス」1978年 アラン・パーカー監督/アンリーン・ミラクル

2位)「タイタニック」1997年 ジェームズ・キャメロン監督/ケイト・ウィンスレット

3位)「愛の渦」2014年 三浦大輔監督/門脇麦

4位)「さよならみどりちゃん」2004年 古厩智之監督/星野真里

5位)「遠雷」1981年 根岸吉太郎監督/石田えり

6位)「ソナチネ」1993年 北野武監督/国舞亜矢

7位)「空気人形」2009年 是枝裕和監督/ペ・ドゥナ

8位)「吶喊」1975年 岡本喜八監督/千波恵美子

9位)「肉弾」1968年 岡本喜八監督/大谷直子

10位)「危険なメソッド」2011年 デヴィッド・クローネンバーグ監督/キーラ・ナイトレイ

しかし、キャメロンとかクローネンバーグの映画が自分のベストテンに入ってくるなんて、ありえないくらい、おっぱいである。あっ、おれ的には、映画のおっぱいとは乳首見えが前提。乳首見えないおっぱいなんておっぱいじゃない。

1位の「ミッドナイト・エクスプレス」はもうこれしかないだろというエロいおっぱい。全然エロくない映画だからこそ、異常にエロいおっぱい。女優さんの名前はまったく記憶になく調べたくらいなのに圧倒的にエロいおっぱい。この映画観た人なら同意してくれる筈。初見は貸しビデオだったが、このシーン含め、前後が荒れていた。つまり多くの人がこのシーンだけを巻き戻して繰り返して観るという。

2位「タイタニック」。まあいい映画なのは当たり前だけど、普通のベストテン系の企画だったら絶対選ばないよなというほどの有名でメジャーで大ヒットな映画なわけだ。が、こと企画がおっぱいなら別だ。比較的最近のケイト・ウィンスレッドのインタビューで「未だにこの映画のおっぱいシーンのポートレイト持ってきてサインくださいとか言われる(怒)」なことを言っていたが、まあしょうがないよな。おれも欲しいもの。

3位「愛の渦」。この映画はおっぱいまみれな映画だが、もうね、とにかく門脇麦なのだよ。それほど門脇麦のおっぱいに意味がある映画。他の女優陣も含め全員が見せまくりなのに、未だ乳首見せない三津谷葉子の潔くなさ(乳首紫色とかなのか?)との対比も鮮やか。門脇麦、今期の朝ドラでヒロイン土屋太鳳のお友達として、ほわんとした役やってます。がんばれ、門脇麦(のおっぱい)。

4位「さよならみどりちゃん」。世にも有名な世界三大がっかりのひとつ。おれは全然がっかりしない。古厩智之は手堅い映画を作る人だが、この映画の星野真理のおっぱいシーンはやたらラディカルだ。その後のキレのいいエンディングとあわせ、映画的に圧倒的に評価したい優れたおっぱい映画。

5位「遠雷」。この映画全然覚えてないんだよなあ。何回か観てる筈なんだが。石田えりのおっぱいしか記憶が残ってないという。ひょっとしたら観てないのかもしれない(苦笑)。取りも直さず、優れたおっぱいである証明だろう。優れた映画なのかは知らん。

一方6位の「ソナチネ」は、1位の「ミッドナイト・エクスプレス」タイプだ。映画として凄くて、エロくない映画で、だからとしてワンシーンおっぱいのエロさが強烈に突き刺さるという。実にいいおっぱいです。

7位は「空気人形」。是枝裕和も普通にいい映画を作る監督で、だからこそというか、おれにはあまりフックがない。けれどこの映画は別だ。それは全編ペ・ドゥナのおっぱいだからだという以外の理由はない。

この手の企画だと自分に1監督1作品のシバリをかけることが多いんだが、今回は縛らないで8位「吶喊」と9位「肉弾」と岡本喜八のおっぱいを2本。どっちもいいんだよねえ。ともに勢いある青春おっぱいなのは同じなんだが、けれど見せ方が違う。エネルギーあふれ思わずこぼれたおっぱいと、情緒的だがばーんとしたおっぱい。エロなら前者かなという気がするので「吶喊」を上にした。勿論映画として2作とも傑作。

10位には、おれのキーラのおっぱいを選んでおきたくて、どれにするかと思い悩んだんだが、実はこの映画のキーラ・ナイトレイはおれのキーラじゃない「危険なメソッド」。だってキモいんだもの。気狂い演技が凄過ぎて。でも、おっぱいは印象的なの。WOWOWのW座で、薫堂さんと故水丸さんが、揃って言及していた、圧倒的に意味不明なハミ乳シーンがある故の選択だ。キーラもそうなんだが、入れるか迷ったイザベル・アジャーニとかナスターシャ・キンスキーとか、おっぱい見える映画より見えない映画の方が圧倒的にいいのが多くて残念だよな。見える奴は、映画として足りないものがあるから、おっぱいで補填してる感があるというか。つまり、おっぱいこそが映画性。

その他でベストに入れるか迷った映画としては「ロボコップ」「スターシップ・トゥルーパーズ」「ショーガール」のバーホーベンだったり、原田美枝子のあれだったり、桃井かおりのこれだったり。どれも今観ても鮮烈なおっぱいだと思うのだが、バーホーベンのおっぱいはあまりに無名性と群集性が強過ぎ、後者の大物女優さん二人には、おれだけのモノ感が足りない気がして選ばなかった。

それにしたって、映画におけるおっぱいって、ひとつのジャンルであり切り口であり、だからこそ作り手にとってはセンスだと思うのよ。どういうおっぱいを見せるかこそが監督の手腕というか。まあ「遠雷」みたいにおっぱいしか覚えてないってのも、どうなのよとは思うが。

膝と膝の間に

どちらかといえばO脚らしい。

らしいなどと曖昧な事を書いているのは、それらしいと気付いたのが、何年か前、何かの機会、健康検診的・体力測定的なモノをやらされ、前屈を測る際に、はい膝曲げないで両方の膝ちゃんと付けてとか言われて、付けてるつもりなのだが付いてない、駄目です付けなきゃ、いや付けたくてもつかないんだ、こうやって付けるんです、ほらぐいぐい、そんなにぎゅっとしないでいたたたっなどという事があったからで、それでもとりわけO脚などというレベルのことなのか、よく分かってない為、どちらかといえばとか、らしいという辺りの表現が精一杯な訳である。少なくとも間違いないのは、普通に直立した状態で足を閉じていると、両足の膝頭の間には数センチの空間が出来てしまう。最も踵を付け爪先を開くようにすると、あっさり付いてしまうから、益々判断に迷う所ではある。

寝る時は横向きで寝る。目が醒めると、ほとんど上を向いているんだが、それでも寝入る時は横を向く。どっち向きでも構わない。その時、足はぴったり揃える。下になる足の膝に、上の足の膝が乗る形になる。

病気をして大幅に痩せた。食事には気を使い続けているし、軽い運動も積み重ねているので、まだ三ヶ月強ではあるものの、体重は更に落ちることはあっても退院時のそれを超えたことはない。身体が軽くて、概ねというか全般的には調子は良い。ところが、寝ようとすると、膝が痛いのだ。恐らく股から膝までの脂肪が落ちたからだろう、横を向いて脚を重ねると、両の膝がごりごりっと当たる感覚があって、痛いというのは、やや大袈裟かもしれぬ、それなりの不快感というのが妥当な辺りとも思うんだが、毎晩ごりっと来る。

O脚的に離れた両膝が、横を向いて寝る事で、重力によって、X脚への強制圧力が掛かっている状態とでも言えようか。加齢によって膝関節が柔軟性を失ってきているのかもしれない。兎に角、痛い。というほどでもないが不快だ。

そこで、寝入る時に、タオルなどを畳んで膝の間に挟んでみた。意外や悪くない。ユニクロのフリース辺りだと畳んでもふかふかで尚更具合がよい。目が覚めて上を向いていると、挟んだ物体は何処かに蹴散らしてるが、たまに横を向いた状態のままだと、ちゃんと挟んだままだったりする。万事解決と言ってよい。

が、この程度のささやかな出来事からでも考えさせられる事もあるもので。

二十歳を過ぎてから、ひたすら溜め込んだ脂肪の替わりに、少しずつ無くしていったものが、その脂肪を落としたからといって、戻ってくるかといえば、そんなことはないのである。

それは、股の筋肉や、膝関節の柔軟性だけでなく、熱い情熱だったり、長続きした集中力だったり、そうして、替わりに、脂肪と一緒に、諦めの良さや、シニカルな笑いばかりを蓄積してきたのだ。

失ったものを取り戻すのは大変でも、もっと色々捨ててしまって、もっと身軽になるなら出来るんだと、少しは前向きに今の自分を状態を理解して、すかすかになった膝と膝の間に、今日もユニクロのフリースを挟んで寝るとしよう。

絶賛「味園ユニバース」

2月の更新してなかったよー。

ということで、散々絶賛を繰り返した山下敦弘の新作「味園ユニバース」関連のツイートをまとめておく。「百円の恋」にしても、これにしても、邦画は充分面白い。何とかのゼロとか大作がくだらないのはどこのクニでも一緒だと思うし。

2月23日
味園ユニバース」。まーた、山下敦弘の演出も二階堂ふみの芝居も、うんざりするほど上手くて、最早嫌味に近い普通に良い映画かと思っていると、横から全部持ってくのは、関ジャニ渋谷すばる。この子歌も演技も凄い。周りの整合性を破壊する魅力。傑作。

山下敦弘のアベレージの高さは異常。しかもまた上げてくるし。

最近のジャニーズは侮れないよなと度々書きながら、実は未だに多少侮っていたんだが、今日で本気に改心した。それほど渋谷すばる、よかった。

山下敦弘アベレージ高いよなとか書きながら、実は未だにリンダリンダリンダが一番好きなんだが、味園ユニバースは超えたかも。雨の下駄箱に匹敵するモノ描写もあるしなあ。まあ二回目三回目観ないと分からないけど。個人的に突き刺さりまくりなところがあってさー。

味園ユニバースのツイが珍しく不気味な勢いで拡散され始めた。ポチ男みたいな怖い人に絡まれたらどうしよう。びくびく。

2月26日
怒りの定時退社からの、味園ユニバース二回目。

味園ユニバース」二回目。やっぱこれメチャ好きやわー(突然関西弁)。そうだよな、嫌なら捨てればいいんだよな。けど捨ててばかりいるとクズになっちゃうんだ。……でも捨てるんだよ!

味園ユニバース」、多分今年のベストどころか、ここ数年間のベストだな。あくまで、おれにとってはの話だが。勿論、一般論として、普通に傑作である事は、ほとんどの人が認めてくれるだろうけど。

2月27日
渋谷すばるを、シブタニすばると読むのを知ったのは実は昨日でした(えーっ笑)。

普通シブヤとしか読めない(強弁)。

山田孝之の深夜ドラマで喜んでいる人は、是非とも山下敦弘の本業の新作映画「味園ユニバース」観て欲しいなあ。色々出来る人なんだよ、この監督は。あと赤羽路線のフェイクドキュメンタリーなら「汁刑事」とかもいいよ(シルデカと読む)。

この劇中歌の「ココロオドレバ」がこういうスカで痛快な曲じゃなければ、「味園ユニバース」そこまで好きにならなかった可能性も若干ある。シブタニすばる - ココロオドレバ https://www.youtube.com/watch?v=9eYq9pbk-rc

映画『味園ユニバース』予告編 https://t.co/opfroWAeKb

でもこの予告編、いいとこ使い過ぎ。

3月7日
味園ユニバース」三回目。おれの21世紀の3本は、今の所「その男ヴァンダム」「スーパー!」、そして「味園ユニバース」だな! 次点「パシリム」。

しかし、味ユニ、違う映画館で三回観たが、何処も、渋谷すばる目当て(恐らく)の女性連ればかりで、男が異常に少ないの。最近の若い兄ちゃんは、こういうクズなアウトローに自分を重ねたりしないのかしらね。何か納得いかねえな。

黄昏の英語学習

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。……って、もう2月だよ。

今年も月イチ更新目標だが、何か今年辺りから、ブログに書きたいような事も、ぽつぽつ出て来るような予感もする(多分予感だけ)。

ところで、母さん、僕のあの英語学習どうなつたでせうね。ええ、引きこもつたままモノにしてやると息巻いていたやつですよ。

……実はちゃんとやってるんだよー。但し細々とな。無理ないペースでな。日々の生活環境も色々変わったことだし。いやいや、英語を流し聞きしている時間は、ほぼ減ってないのは確かで。そうやって耳と頭に英語を染み込ませて続けて、そろそろ、みっちり学び込む、本格的なトレーニング復活の日も近いというか。

ただ、ホントに染み込んできたのかと問われると、これがちょっと自信ないのも確かなんだが。では、英語を染み込ますって何だと問われても、これまた難しい。恐らく若い頃に母国語以外の言語をモノにした人間には、実感として理解出来ないと思うのよね。聞いてたら自然と分かるようになったというのが普通だと思うので。ところがこっちは、どうしたって自然に分かるようにはならない歳なんだよな。悲しい。

語彙が増えないのが厳しいところ。単語や熟語をそれのみで覚えるのは、やっぱりどうしてもダメだ(それにしたって、単語アプリを何順も終えているんだよ)。面白くなさ過ぎ。なので方法論として落ち着いてるのは、精聴(?)時間と量を増やして、その過程で語彙を充実させていくことなんだが。結局は、どれだけ時間をかけられるかなんだよねえ。という当たり前の話。

時たま、普通の速度の英語が、意味ごとスルっと入ってくることはある。けど、それが上達の結果そうなったのか、たまたま未知の単語がなかったり、意味を推測できる内容であったからだったり、つまり、昔からそのくらいなら分かったんじゃないかという疑問も拭えない。どうやって英語をマスターしていくのか、それ以前はどうだったのかを、忘れない為にこうやって記録し始めたつもりだったのに、どれくらい英語が出来たか(あるいは出来なかったか)、もうすっかり忘れてしまっているという。

つまり、色々な意味で、衰える記憶力との戦いであるわけだ。人生、黄昏時。

「百円の恋」雑感 〜ジャンルにとってリアルとは何か?

スポーツ観戦は好きだし、映画も好きだ。けれど、スポーツ映画はあまり好きではない。

これってよく考えると自分でも不思議で、あまり普通ではない気がする。とんかつもカレーも好きなら、カツカレー好きだろ? ……大好きです(あくまでロースで頼むよ)。

スポーツ映画ベスト10選べと言われても選べない。そのくらい好きな映画が少ない。「メジャーリーグ」の一本目は凄く好き。あのチャーリー・シーンが眼鏡かけるだけでノーコン克服してしまうファンタジーっぷりが最高。けれどそのくらいかなあ。ロッキーは1本目が中3で、かなりガツンと来たけど、それ以外はどーもなあ(ファイナルはよかったよ)。

だってね、スポーツ映画のスポーツって大体ファンタジーじゃん。全然リアルじゃなくて。だったら、スポーツそれ自体はリアルで観た方が、面白くない? 勿論、映画の方は逆にそのファンタジーぶりが面白いわけで。

「ロッキー」でスタローンが売れて、その後巨匠のハワード・ホークスがスタローンで「勝利への脱出」というサッカー映画を撮った。この映画はかなり好き。超感動した(大人になってからも再見してまた感動した)。けどこれサッカー映画かと言われると、かなり微妙。ペレとか出てるしサッカー映画なんだが。近年では、クリント・イーストウッド南アフリカとラクビーを舞台に「インビクタス」を撮って、これまたいい映画だったけど、これをラクビー映画(としか言い様がない)と言われると、どうなのよって話と同じで。感動のポイントは、ラクビーの本質とはまるで関係ないというか。

確か三田誠広だったと思うが、数学にだって人間ドラマがあって、そういうとこから見ると数学だって面白い的なことをエッセイで書いてて、その文章を読んだ頃は、もう高校生だったと思うが、当時からそれって数学が面白いんじゃなくて、それにまつわる人間ドラマが面白いだけだよなと思っていた。

科学の世界にだって、芸術の世界にだって、当然、人間ドラマはあって、そこに着目したがるメディアの側が多い事も確かだ。分かり易いもの。

リアルの方の格闘技で言えば「彼には負けられない理由がある」的な煽りに代表される、陳腐で凡庸な人間ドラマ。観るたびにうんざりする。そんなくだらないモン観るなら、朝ドラでも観るぜ(たまにもっとくだらなかったりするが)。

そうして、ようやく話は「百円の恋」にたどり着く。32歳で何事にもやる気のないニートなオバさん(になりかけ)が、一念発起して(という感じではないのが、またミソなんだが)、ボクシングを始め、プロデビュー戦を迎える。ボクシング映画のフォーマットに沿って、あえてステロタイプに展開するから、最後はそのプロデビュー戦で、まあそれだけの映画だ。

が、しかしびっくりするほどリアルなんだな、これが。安藤サクラ、あれだけステップ踏めればプロテストいけるんではないか。そのレベルにまで到達している。

かと言って、映画としてフィクションとして考えた場合、リアルならそれでいいのか。はっきり言って、フィクションでそれやって面白くなるのか。そこが問題なんである。

ツイッターではこう書いた。文章ちょっとおかしいとこあるけど、そのまんま転載しておく。

「百円の恋」、傑作。恐らく現時点までで最も「ジョシカク」(この言葉好きじゃないけど)な作品。女子が、否、人が戦いに向かう理由など徹底的に個人的なものであり、どうでもいいのだという事を徹底的に表現するという方法論を用いる事で、この映画は圧倒的なリアルさを獲得してる。

「百円の恋」、可能な限りネタバレは避けて、まずは技術編。ボクシング映画ならラストは試合というのは定番だが、女子のデビュー戦、この内容ならリアルだと1Rで止められてしまうという点さえ棚上げすれば、とにかく、安藤サクラが肉体でリアルさを担保している。

勿論それは安藤サクラのがんばりが一番なんだが、何が上手くなったことを見せれば説得力が出るのか、よく計算されてるんだな。縄跳び、レバーブロー、何よりフットワーク(あとグローブに書いてある名前とか笑)。そこが成長していくことで、うわーリアルだ、すげーと

うわーリアルだ、すげーと素直に思わせてくれる。見事な演出。とは言え、安藤サクラ、序盤ツクリ過ぎな感。後半が圧倒的にいいし、何故ここでという、おっぱいバーンまでしてるので(おれが観てる限り「俺たちに明日はないッス」以来?)、全部許してしまうんだが。

そうして「百円の恋」、試合あとの安藤サクラの科白(内容は書かない)が最高なんだ。この映画をリアルなボクシング映画として成立させている一番重要なリアル。またね、それを受ける例によって最低男やらせればNo.1(苦笑)な新井浩文と力の入らない受けも相まって。

女子が格闘技に向かうのに、別に大した理由はいらないし、それがボクシングである必要もない。そこをきっちり描いているからこそ、余計ボクシングそれ自体の魅力まで引き立つという効果がバツグン。ファン関係者必見(選手はどう思うか知らん)。傑作「百円の恋」雑感了。

そうそう「百円の恋」、「勇気をもらいました!」「私もがんばります!」的感想から、最も遠いところにある内容なんだが、別に「勇気をもらって」もその勘違いも明らかな間違いというわけではないという意味では、充分に商業主義的なエンターテインメントだと言える。事実、入ってたしな。

では、そのボクシングの魅力とは何なのかと言われたら、やはり劇中で安藤サクラが言ってる。「何かいいよね」と。

それがリアルなわけだ。サッカーと野球、どっちが好きかと問われて、その回答に人は色々理由はつけられるけれど、どっちが面白いか何が面白いかなんて、ほとんどは、好き嫌いで片付けられてしまう。そういうリアルに意味付けしたり言葉で飾るのは、ライターや文学者の仕事。パンピーは、リアルな作品である試合(や練習の風景やエトセトラ)から触発された再生産の文章作品として、それを楽しめばいいだけである。

スポーツ、ことに格闘技の場合、意味が問われ過ぎる。何故、勝ちたいのかと。

勝ちたいから、勝ちたい。それでいいではないか。それが競技スポーツであり、格闘技であり、ボクシングである。そこをそのまま描いて、フィクションとして光輝いている。「百円の恋」って、そういうリアルだ。今年のベストワン。