電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

進化か退化かは歴史が評価する

たまには政治ネタ(に仮託した微妙な自己主張)でも。

自虐的な福田首相、有識者会議で笑えない軽口

「2008年に急に首相が辞めちゃったことが100年たっても1000年たっても分かるようにしなければいけない」。福田康夫首相は4日午前、内閣府で開かれた政府の「公文書管理の在り方に関する有識者会議」(座長、尾崎護・元大蔵事務次官)で自らの退陣に引っかけて厳格な公文書管理の必要性を説く軽口で笑いを誘った。

公文書管理の重要性って、ホントあると思うのだ。例えば、それは格闘技のプロモーションも一緒で。公式記録は、徹底的に残さなければならない。まあ、小所帯だと、それが大変なんだけどねえ。が、国がそれを出来ないわけはない。やらなくちゃいけないのだ。

何故なら、すべての歴史はそうやって引き継がれ、我々は、過去を財産として進化し続けるべきだから。それが進化であるか、正しいかどうかはその時点ではわからない。けれど、変わり続けること自体が重要だと思っている。変わり続ける前提でなければ、残すべき伝統も発見できない。

モノを考えるのが好きな人間は、一般的に悲観主義的に解釈されたり、シニカルに捉えられたりしがち。自分もそう理解される傾向があって、迷うこと戸惑うことこそが知的な行為であるとすら思っている。が、「変えるか/変えないか」の二者択一なら、無条件に「変える」を支持したい。

まあ、何でもそんなに簡単にはいかないんだけどね。いかないからこそ、そういう基準を自分のうちに決めている。政治的には、右と左という分類が、ほとんど意味をもたなくなった現在でも、保守か革新かと問われれば、多分、この意味で自分は革新なんだ。仮に言っていることが、ガリガリに保守なことだとしても。

などと書きながら、政治にまったく興味がなくなって、もう十年以上。