電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

何も見えない

最近どんどん老眼が酷くなってきて、かと言って老眼鏡が必要というレベルではなく、要は近視の眼鏡をかけたままで、いきなり手元を見ると「うっ」と声が出てしまうぐらい何も見えないものの、眼鏡を外せば充分見える程度であるんだが、どうも眼鏡をかけたり外したりするのは面倒なもので、ここ1年ほど、オシャレな眼鏡チェーンを探していて、ところが、オシャレ過ぎるのはあっても、自分の好みに合うものが中々見つからず、そうこうしているうちに、ふと気が付いて、大昔スキーをやっていた頃、サングラスにつけていた奴があったんじゃないかと探してみたら、モノ持ちいい性格が幸いして、見事にあったのだが、スキー用なので、ハデな蛍光色の紐の安物であり、とても外出時にはつけられないと思いつつ、自宅で試してみると、頬やら首やらに、ハラハラと触れ、やたら不快感があり、考えてみれば、自分はネックレスとか指輪とか身体に密着させるモノは、ほとんどダメで、唯一小学生時代からしている腕時計は、寝る時もしたまま寝てしまうくらいなんだが、それ以外は、全滅に近く、ではどうしようと思ったものの、当の眼鏡は大丈夫じゃないか、結局慣れれば大丈夫かもと考え直したり、色々試行錯誤していたんだが、結論としては、60年代風というか、ド根性ガエルのヒロシのようにというか、眼鏡をオデコに跳ね上げて固定させる癖をつけた。電車の中で雑誌を読む時なんかも、これをやってしまうのだが、多分相当カッコ悪いと思います。

拳法の達人がマンガなどで視力を失うと、「されど、心の目が開いたのだ」などと云うところであるが、自分の場合、当然のことながらそんなことはなく、今まで見えていたモノが純粋に見えなくなっただけであって、そうこうしているうちに、加速度的に、視野も狭まり、思考能力も衰え、足腰も弱り、偏屈でイヤミなジジイになるばかりであって、早く死んだ方が、世界の平和の為だよなと本気で思ったりしたのだが、今でも、充分、偏屈でイヤミなオヤジであって、こんなクソオヤジ一人死んでも、世界は何も変わらない。