電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

来たね、われらが日々

時代の閉塞感繋がりというか、安保の後繋がり。

庄司薫以上に、忘れ去られた感がある柴田翔という作家がいて、芥川賞受賞作で、代表作でもある「されどわれらが日々−」の発表年が、1964年だと知ると、へえそんなに古かったかという印象がある。自分にとっては、70年安保の後の話じゃなかったけ? という感じなのだ。つまり、昨日の「新幹線大爆破」より10年前(正確には11年)。

自分の世代には「孤島に持っていく一冊の小説」というか、要は、オールタイムベストワンの小説というと、この小説を挙げる人が、結構いたもんで、それはいわゆる70年半ばを過ぎてから思春期を迎えた自分の世代には、この小説の持つ、激しい虚無感・閉塞感と、そこから抜け出そうとする、ほのかな希望が、胸を打つということなのだと思う。つまり、60年安保も70年安保も、その後で作品として世に出た感覚は、似たようなもんであり、そこにある虚無感・閉塞感は、その後の世代、つまり自分達に共感を持って迎えられた。

連合赤軍とか浅間山荘まで、突っ走った70年安保の方が、過激な印象が強いが、実は、60年安保の方もかなり過激で、50年代末に、共産党が武装闘争の看板を下ろしたら、それに反対して、熱い連中は、共産党を抜けたり除名になったり、まあ色々大変だったわけだ(机上左翼のいい加減な総括)。今から見れば、ええーっ武装闘争って何よ、てなもんで、隔世の感とは、まさにこのことだが、自分が子供の頃には、民衆には力があると信じられていて、ペンを剣に持ち替えるべきだと本気に考えて、実際に持ち替えた人達がいっぱいいたわけです。

自分の高校時代の友人の父親に、60年以前の共産党除名組で、それ系の幹部を経て野に下り、某区の区会議員を何期か務めて、下町のラルフ・ネーダーとキャッチがつき、80年代初頭にアル中になって自殺した親父がいる。西部邁の60年安保の回顧録である「センチメンタル・ジャーニー」にも少し出てくる。渋い親父だったなあ。ああ、あの頃は、明らかに右翼より左翼の方がカッコよかったんだ。今からすると信じられねえが。大体「プロ市民」なんて言葉ねえし。昔はそういうのは「職業革命家(略してショッカク)」と言ったのだよ。後に大統領選挙にまで出たラルフ・ネーダーのことを、ぼくの好きな革命家・高野秀夫は天国でどう見ているのだろうか。

そして時は流れ、パンク登場の後で、革命家は、プロ市民という名の大衆に迎合した存在となり、絶望や虚無は、明るく軽やかに戯れる対象となり、今から考えると、それってやっぱり絶望でも虚無でもないような気がするんだが、だって、ブルーが限りなく透明に近かったら、それはもうブルーではなく透明なのであって(と筒井康隆が大昔に言っていた)、にも関わらず、明るく軽やかに絶望と戯れてしまった方が、本気で絶望したりするより楽であるからというのが、唯一かつ絶対的な理由で、そうすることが正しい身の処し方になってしまった。そしてその頃が、自分の知る限り、最後の「時代」。が、ひょっとすると、00年代末の今というのは、それ以来の「時代」になるのかもしれないと、本気に期待しているのだ。せめて失業率が10%は欲しいところ。

ちなみに、柴田翔の作品は上記の「されどわれらが日々−」以外は、大したモノはなかったような気がするが、「ノンちゃんの冒険」という小品があって、何人かの女の子に、文庫本をプレゼントした記憶があるから、そんなに悪い内容ではないと思う。その頃は、女の子にあげるプレゼントは本が一番カッコいいと本気で思っていた。内容は全然憶えてないので、責任持てないけど。