電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

真っ当に書く為に

映画見てばかり見てないで少しは仕事しろという声を、ポツポツと頂くんだが、仕事はしてなくもない。自分の場合、映画は8割以上が自宅での鑑賞であって、確かに、本来映画というモノは映画館で見るべきモノだとは思うし、そのことを理由に、お前はダメだと言われれば、申しわけありませんとしか言いようがないんだが、イチイチ映画館なんて行っていたら、1本見るのに半日潰れるわけであって、そこは許してくださいな、家でなら半日で2本いけるし、深夜だろうが真昼間であろうが、空いた時間を使えるんだから。第一、真っ当に書く為には、ある程度数見る必要があって、これは何も映画に関してだけではなく、何のジャンルであっても、数は必要であって、そこが感想と批評を隔てる最も重要な要素だと思うし、おれは真っ当な批評を書きたいのである。結果、真っ当に書けているかは、読んだ人間が判断すればよろしい。

我々の世代だと、今では基礎教養と言っていい呉智英が、昔「読書力は500冊読むごとに昇段する」みたいなことを書いていて、それは何でも同じだと思うのだ。勿論、その「500」という数には、個人差があるだろうし、本で500冊なら、映画では何本で昇段するのかなどと考えるのも楽しいんだが、それはまた別の話とするとして、この話は、多くのスポーツ競技と練習量の話とも重なると思うし、それは語る側においても同様であり、では、何故そうまでして、読書力でもいい、映画鑑賞力(?)でもいい、そういうものを上げたいんだと問われるなら、そんなの、ファイターに「何で強くなりたいんだ」と訊くのと一緒です。