電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

書き手の立ち位置、生き方の問題

昨日、最近にしては珍しく、メジャーの旬なネタを取り上げたのは、そのモノ自体より、このスーパーハルクトーナメントをどう語るかが、語り手のスタンスとセンスを表す絶妙な事例だからだ。あまり面白いことを書けたとは思ってないが、それでもまずは自分から語ってみる必要があった。

例えばだ。サイバー格闘技界にその人ありと知られたカリスマ・アルファブロガーグリフォンさんの反応と、それ以上にコメント欄が面白い。

いわばネットで格闘技を語ろうとしている人間の立ち位置やバランスが、端的にこのコメント欄のやり取りに集約されていて。こういう時、プロのマスコミは楽なのである。楽チンなんである。どうせ批判しないんだから。するとしたって理解を寄せつつ、チクっと皮肉を入れて、良心を気取るくらいで。

ネットは、基本的に「ただの揶揄」が許される場であって、だからこそ「ただの揶揄」に終わらせることも、終わらせないことも、その書き手のセンスと判断次第であって、つまり、営利で行っていないからこそ、美学が明確に出来るし、その気がなくとも品性が露わになるわけだ。

グリフォンさんは、裏山には大麻が自生してそうな上州の片田舎で働きながら、マメに東京まで出てきてマイナーな興行にも観客として顔を出す人であり、ブロガーの集まりなども、自分で音頭を取って頻繁に開催し、加えて「今回も賞金出して」とインサイダーの自分がゾンザイなメールを送れば、ゴネることもなく、ましてや恩着せがましくすることもなく、いきなり「振込先の銀行の口座番号、携帯メールの方に送ってください」と粋なメールを返してくれる人であり(そして実際にすぐに振り込んでくれる人であり)、NHBニュースを含めた長年の活動を含めて、既にイチファンという立場を越えて、業界に貢献していると言っていい人であり、極論してしまえば、もう揶揄しか書かなくたって、全然偉い人なのである。いやいや。偉い偉くないというヒエラルキーを導入すると、これがまた誤解のもとになるのでそれはよそう。

そういうカリスマ・グリフォンさんであっても、こういう風に突っ込まれて、若干疚しくなって、必死にマジメなレスを書かざるを得なくなるような状況が、今の格闘技の世界には確かにあって、勿論、それはファンの責任であるわけはないのだが、だからこそ、書くことは生きることであり、サップとミノワマンが超人を争うトーナメントが、ファンの生き方を問うというのも、不思議なモンだが、だからこそとも言える話なのだ。

逆にいえば、そこまで書くことと生きることをリンクさせている書き手が、今専門マスコミにどれだけいるのかという話。プロの書き手で、自分のことがネットで書かれることを、異様に嫌う人が多くてびっくりする。それは、書くことで発生する、最低限の責任すら、自覚していないということであって。書くなら書かれて当たり前じゃないか。