電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

マッハxトリッグはVTJではない

もう一本修斗ネタ。

スポナビ(デイリースポーツ)】
伝説的な大会「VTJ」が10年ぶり復活へ

【※追記】スポナビが消えているので、元記事のデイリーを貼っておきます。

【デイリースポーツ】
伝説的な大会「VTJ」が10年ぶり復活へ

マッハとトリッグがVTJだというのは、勿論、大間違い。あの年からは修斗の公式戦だ。

何でこんな小さなミスをあげつらうかといえば、あの日が色々な意味で思い出に残る日だったから。2000年の12月17日。

あの日は、自分も少し絡んでいた、田中正志のトークライブが五反田であり、ゲストに来ていた篠さんが、その日旗揚げのスマックガール後楽園大会の招待券を大量にもっていて、参加したメンバーの多くはそこに流れた。が、自分は宇野・ルミナの2戦目があった修斗の前売りを当然のように買っていて、舞浜の今はなきベイNKホールへ。

未だに、試合内容・演出・衝撃的結果、そして観客の生み出した熱、そのすべてのバランスで、観客としての自分にとってのベスト興行だと思っている大会。ルミナ選手を秒殺した宇野選手がベルトを返上した瞬間は、ホント凄かった。ほとんどの観客がルミナの戴冠を期待していたにも関わらず、宇野勝利の衝撃に続いて、宇野くんならしょうがないかという暖かい空気が生まれた直後のベルト返上宣言。何回か書いている比喩だけど、風の谷のナウシカのラスト、「おおオームの攻撃色が消えてゆく」と婆様が言ったのと逆な光景、リングを中心に、ファンの攻撃色が点火していって、怒号が渦巻いたという。当時は、特にルミナファンというわけでもなく、かと言って宇野ファンであったわけでもない自分(修斗観戦歴自体が浅かったんだね)は、昨日のJCBのように冷静だった。だからこそ、これは凄い大会見ちゃったと深く印象に残った大会。

ちなみに、自分がスマックガールと名がついた大会で見ていない大会は、あの日の旗揚げ大会だけ。そこにいた今は亡き(とあえて書こう)「シュート活字」に近いメンツで、スマックガールに行かずに、修斗に行ったメンツは、ほんのわずかであり、そのほんのわずかの一人である自分が、何故か未だに女子総合に関わっているというのも不思議な話で、だからこそ、あの日の記憶に繋がっている。自分にとっては、格闘技との接点が確立した日だったような気がする。自分がスタッフとして「やらせる側(不遜な表現)」に回るまでには、それから2年必要だったのだが。

ああ、ピストル大名やtadさんは元気かなあ。

tadさんの髪の毛は、今はもうない(風の歌を聴け風)。