電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

何もないのに面白いのが偉い文章

最近は付き合いが切れてしまったんだが、若い頃(と言っても20代後半から30代の半ばまで)、よくしてもらっていた数歳年上の、文学やら思想やら何やらに詳しい、言わば師匠みたいな人がいて、その人が文学に対して言った名言がこのタイトル。

通常であれば、本や文章は、実学的な側面が大きいわけだ。読めば為になるとか、勉強になるとか。それが芸術系というか作品系というか、いわゆる創作物になってくると、微妙に話がずれてくるのだが、それでも今度は思想性とか哲学性とか、テーマがどうだとか、最近のばか者、いや失礼若者向けなら、萌えだとか、そういうことが云々されてきて。

この名言を言った人によれば、川端康成が一番偉いのだそうだ。川端の作品なんて、若い頃に2・3冊読んだきりなので、一番偉いと言われると全然ピンと来ないんだが、確かに当時から、「何もないのに面白いのが偉い文章」というのは、そうかもなあとは思っていて。だから、自分でも、そういう文章を書きたがる。格闘技の感想だとか、業界的な提言だとか、マスコミの悪口だとか、そっちの方が、反応もあるしウケるんだが、何もない文章の方が偉い文章だという思いは、書けば書くほど、強まっていく。実際に書いてみればわかるんだが、そういう文章を、文章だけで読ませきるのは難しいんだよね。だからこそ、偉いわけだ。

もっともっと偉い文章が書きたい。