電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

私に神のお恵みを

本宮ひろ志のマンガが好きだと言うと、いわゆるサブカルな向きからは、頭悪いんじゃないの的な反応されることが多いんだが、好きなもんは好きなんである。

偉くなって、ばんばんカネ儲けて、いい女とやりまくってみたいな生き方を、人生のかなり早い段階から目指さなかった自分であるからこそ、ああいうマンガが楽しいのかもしれない。現実を見てみれば、その手の生き方を目指すタイプの人間とは折り合わない場合が多く、もっとストレートに言ってしまえば、クソ野郎が多いんだもの。だからこそ、サラーリマン金太郎が魅力的に見えるわけだ。リアルなリーマンモノである筈の島耕作が、料亭のお上やら銀座のママやらにモテまくって、片っ端からやってしまうと、何だよこれと、おれにはまったく説得力がないんだが、金ちゃんがいくらモテても全然不思議じゃないもんね。

マンガ家としての本宮ひろ志の凄さは、何作もヒット作を出し続けている、その息の長さに尽きるが、例えば、マンガとしては失敗作とされる「やぶれかぶれ」は、本人が議員になると宣言して、その過程をマンガで実況するという内容で、その後多くの模倣が出た(というか1ジャンルとなったともいえる)、マンガ家の体験報告モノ、いわば「私マンガ」ともいえる作品群の先駆けに位置付けることも可能だ。

この「やぶれかぶれ」のラストが好きだ。「来年は年男」「もうガキじゃねえよなあ」と抜いて終わる(勿論、いかにも打ち切りっぽい、とってつけたような終わり方でもある)。自分の歳にかけたその抜き方が、爽やかで余韻を残す。

ネットは長年やってるが、今日が自分の誕生日だとか、自分から書いたことは一度もない。スルーされればされたで悲しいし、中途半端に祝福されるのも恥ずかしい。が、今年は初めて書いてみる。今日で47歳になる。来年は4度目の年男だ。もう心底ガキじゃ済まされない歳になってしまった。人間50年とするならあと3年しかない。今更どうしろというんだ。あたふた。