電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

据え膳食わぬは男の何か?

この話とまったく繋がってないわけではないが、あれは据え膳ではないので念の為。

「据え膳食わぬは男のロマン」という言葉があって、これを初めて聞いたのは、確か鴻上尚史のエッセイか何かだったと思うんだが、「有名な科白」と鴻上は主張していたのに、自分は初耳で、それ以来もあまり耳にしたことはない。言いたいことはわかる。あの時のあの子の笑顔。会話のひとつひとつが鮮やかに思い出されるような思い出。あの時、もう一言言っていれば。そんな記憶は誰にもあるもので(と書くと嘘になるよな、多分)、勿論、一般的には「据え膳食わぬは男の恥」であって、だからこそ、据え膳を食わぬことが、鮮烈な思い出になって、蘇るわけだ。

自分のように達観した親父になると、もうそういうロマン自体が面倒くさく、据え膳を置かれそうな場合は、置かれること自体を、周到に回避する癖がついていて、いやいや、これ親父はみんなそうであるわけではなく、自分くらいの年齢、つまり40半ばくらいだと、多くの場合はまったく枯れてないので、据え膳歓迎いただきますな奴の方が多いように思うが、その辺りは、自分がそういう男なのだということであって他意はない。

白馬に乗ったお姫様が丘の上から駆け下りてきて、自分を迎えに来てくれるのを未だ待っている。

と、ストレートに書くと、最早ギャグにすらならないので、必ず、西荻周辺は道が分り難いので、お姫様は20年くらい道に迷っているんだなどと、必ず添えて書くようにしているが、書けば書くほど、痛さは増すばかりで、いやいや、その痛さをギャグとして書いているんだが、その心境は決して嘘ではなく、かと言って、据え膳置かれるのが面倒くさいのも事実であって、だって、お姫様なら、余多の障害物を華麗な馬術テクで乗り越えて、おれの前に据えられてみせるに決まっている。

まあ、こういうことを思う時は、仕事以外の雑事が貯まっていたり、部屋が荒れ果てて、ああ家政婦が欲しいなあと、しみじみ思う時なんだよね。家政婦は欲しいが、ロマンはいらないと思いながら、よくないだろ、家事手伝いを求めて、ロマンを求めないのはと考え直す。まずは、ロマンを求める気力を取り戻さないと、素敵な恋愛は出来ません。いやいやこの歳になって、素敵な恋愛とか言ってる場合じゃないだろって話で。最近は若い姉ちゃん見ると、あまりに眩し過ぎて、クチきけないもんな、臭くて小さい親父としては。

婚活しようかなあ。よし、しよう。善は急げだ、今しよう。

年収1千万以上で、親と同居しないでいい妙齢の女性、おれと結婚しませんか? 当方、専業主夫希望です。ちなみに、料理はまあまあ上手いです。掃除は苦手だけど、愛さえあれば、きっと何とかなると思います。