電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて

昨日のケージフォース、ご来場くださった皆様、ありがとうございました! 行こう行こうと思って、来れなかった皆様、なーに大丈夫。次回は来年2月11日です。女子と二階建て。その日は1日中、格闘技に浸れます。

昨日の結果はこちら

で、おれは、朝から晩まで、ケージの組み立てからバラシまでを、呟きまくってました。とは言っても、後からみると大した量ではないんだけど。

来年のGCMは、二階建て、つまり、昼間女子・夜男子(逆になる可能性もゼロではないです)という、今まで、ヴァルキリー開催時にやっていたパターンが、より増えます。

昨日は、男子だけだったので、自分には多少余裕があり「ツイッターも広報活動」と言い訳にして、呟きまくったけど、二階建てになったら、もうここまで色々呟く余裕はないでしょう。なので、上記の「twilog」のケージ組み立ての実況は、結構、貴重な筈。まあ、小さい画像しかあげてないので、分り難いかもだが。

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タイトルは、中上健次村上龍の対談集より。「纜」は「ともづな」と読む。普通は「艫綱」と書くところだろう。ところが、再販時だったか、文庫になる時に「ジャズと爆弾」という変なタイトルに改題されてしまった。自分が持っている単行本は、帯の煽りがまた凄い。

新しい文学世代のマニフェスト
エタスタブリッシュメントを葬れ。
小説は麻薬か。魂の爆弾か。
現代の荒野に放たれた、若き二人の獅子が、
嵐の先触を熱い肉声で告知する、衝撃の一冊。

奥付をみると、初版1977年6月30日となっている。この時代には、マニフェストという言葉は、まだ充分尖った言葉だった。自分がこの本を読んだのは、もう80年代になってからの筈なんだが、何故か初版本だ。あまり売れなかったんだろう、それでもこういういい本は、何年も、書店の棚に残っている時代だった。

角川から出た本だし、村上龍中上健次という顔合わせからして、見城徹あたりが書いたコピーなのかもしれない。今だったら有り得ない、言葉の温度の高さ(というより暑苦しさ)。今となっては、「ジャズと爆弾」の文庫本の方も絶版のようだが。

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撤収を終えてようやく帰宅して、録画しておいたK−1観たら、KO続出で凄いことになっていた。これは観ていた人、面白かったのではないか。格闘技の世界、谷川さんがツイッターで呟いているように、大晦日に向けて、風が吹き始めた気がしないでもない。勿論、状況は変わらず厳しい。が、こういう追い風に、いかに上手く帆を立てられるかで、色々なモノの真価が問われる筈で。

その追い風を受けて前へ前へと進む、格闘技船団の中で、自分が何を出来るか、やれるのか。もう年が年なので、ひとつひとつ、しっかり考えて、けれど一度決めたら、がむしゃらに帆を立てて進んでいこう。纜は、とっくに解かれている。