電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

おれのハートはいつもむきだしなんだぜ

ここでゼロ年代ベストに入れている作品のうち、2人の監督の最新作をやっと観た。園子温三木聡

園子温の「愛のむきだし」は、いい評判は聞きつつも、4時間もある映画だけあって、観る勇気が出なかった感じで。前作の「紀子の食卓」が超問題作で、重たい映画だった為、二の足を踏んでいたというのもある。数ヶ月前に、ツイッター水道橋博士がメチャクチャ誉めていて、ああ観るかなあと思いつつも、まだ観る気になれず。

紀子の食卓」に比べると軽いんである。コピーも「純愛」「エンターテインメント」が強調されている。確かに、全編を通してテンポも軽快、映画館で見たらどうだか知らんが、少なくともDVDで観ている限りは、あっという間の4時間、いや感覚的には2時間映画を観る感覚で見られてしまう。

とは言え、決して軽い映画ではない。あくまで「紀子の食卓」に比較すれば軽いということで。「紀子の食卓」と同様、「家族」という重たいテーマが、今回は「純愛」の影に隠れるカタチにはなっているものの、やはり主旋律という感じで、底辺に横たわっていて。

一方の、三木聡の新作「インスタント沼」。傑作「亀は意外と速く泳ぐ」に感触が近い、スラップスティック・コメディー。麻生久美子のコメディー演技が微妙といえば微妙なんだが(勿論、大熱演なんだが)、風間杜夫松坂慶子が出ていて(競演シーンはなし)、実は、この2人の子供が、麻生久美子なんである。つまり、銀ちゃんと小夏の子供の話(と書いて分らない人は、各自調査)。いや映画の中では、そんな設定はないんだが、舞台人でもある三木聡なんだから、そこは意識していないわけはなく。

園子温が、執拗に「昭和にあっただろう平和な食卓」の崩壊と、「かつてあったもの」「あるべきもの」としての「家庭の食卓」への郷愁を、しかし徹底して残酷に描くのに対し、三木聡は「家庭なんて崩壊するもの」という前提で、壊れた後の家庭を、淡々と、けれどチャーミングに描く。

自分が、親不孝な人生を送ってきて、そこに疾しさを持っていて、それを取り戻そうと自分で理想の家庭を作るなんて行為からも逃げている為、家庭というテーマは苦手なんである。どうでもいいじゃん家庭なんてとすら思う。五月蝿いよ、おれは一人でいいんだよ。

だからこそ、たまにはこういう映画を観て、しみじみと家庭/家族について考えてみるのだとも言える。フィクションを通して、絶望と希望の両方を眺めて、考えて、それでも、結論は出ない。家庭なんて、そんなもんだ。へん、やっぱり、おれには要らないね。おれの背中には孤独の「孤」の字が浮かんでいるんである。でも、何故かその文字を人を見せたくなることが多い。