電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

亀田とコスプレはセットや!

土曜・日曜と、K−1亀田興毅、UFCと、格闘技関連色々あったものの、一番心暖まったのは、仮面ライダーWを観てて、ゲストのお姉ちゃん結構好みだと呟いたら、あれはハリケンブルーの長澤奈央だと、あっという間に、多数のリプライがついて、いやあ、こういうのはツイッターの醍醐味だよなあと思ったものの、Windows7/XP/2Kを、ひとつのLANに混在すると(やっと買った新マシンのセットアップを始めたのだ)、IV6を切っても頻繁にパケ詰まりすると呟いても、こっちは、さっぱりリプライがつかないと思って、しこしこググっても中々似たような例が出てこないもん、これはさすがにしょうがないな、だから教えて偉い人。

K−1は、自演乙が優勝して、感動的なエンディング、けれど「マックスは潰しません!」発言が「ええーっ、潰れそうだったの?」と、返って、ファン筋に不安がられたりしているのが面白い。谷川さんの総括を見る限りは、相変わらず強気だが、中々明確にならない年間計画といい、不安がられてしょうがない要素は山ほどあるわけで、もうそろそろ「潰れそうですから、応援してください」路線をとってみてもいいんじゃないかと思うんだが、プロモータをやるような人間は、往々にして、そういう思考には至らない(例外おれ一人)。放映権料値下げの話を表に出しただけでも、相当に、事態は切羽詰っていると見るべきで。

一方、亀田興毅。このタイミングでの敗戦は、国民感情的にはむしろグッドという意見を散見した。それは確かにそうなんだろうが、それに何の意味があるのかとも思う。これでまさに「普通に強いボクサー」。世界戦で勝ったり(勿論、時に負けたり)すること自体、充分凄いことではあるわけだが、かと言って、それだけでは世間に届かない。だからこそ、亀田家は亀田家をやっていたわけで。それが、亀田家でなくなることは、一体どういう意味を持つのか。

アスリートとして、長谷川穂積のレベルまでいけるのかと言ったら、それは過酷なまでの困難を伴う道で。勿論、亀田家が亀田家であった過去の記憶はあるから、これからのファイトの結果で、5割増しくらいの評価はついてくるかもしれない。が、既にあそこまで減ってしまった観客を、増やすことは、さらに難しいと言わざるをえない。全盛期であっても、実は観客は大したことなかったという説もあるが、K−1や総合がオールスターキャストであそこまで苦戦している中、一人であそこまで集められているということが、ここ数年のタームで考えると奇跡的なんである、魔裟斗だって一人じゃ無理な筈で。

勿論、そういう真っ当な世界で、観客を集めることが、興行を主催する側に課せられた使命であることは言うまでもないんだか、それが一番難しいからこそのハレンチ路線であるわけだ。

その意味で、番組の作り方に色々問題があるTBSだが、K−1やDREAMと亀田をセットにしちゃうことは、個人的には、そんなに悪いことだとは思ってない。勿論、そこで流れる内容が真っ当なものであればという前提はつくけれど。

ボクシング、キック、総合。K−1の存在によって、ボクシングに匹敵するほど認知度が高いキックボクシング(と、K−1をキック扱いすると、キックの関係者が不満なのはわかっているけれど)、そうやって、総合格闘技の側からすれば、オマケにしてもらって、とにかく世間の認知度を上げるというのは、真っ当な仕組み作りをすることこそが重要な(と勝手に自分が思っている)総合の世界においては、未だ最優先課題であるわけで。つまり、ボクシング、キックボクシング、総合格闘技、みんな抱えた状況は微妙に違うわけだが、削り合うんじゃなく「格闘技」あるいは「コンバット・スポーツ」という大きな括りの中(コンタクト・スポーツだと括りデカ過ぎかな?)、高め合うことを前提に世界が動いていけばなとは思う。などと書くと、ボクシングの側からは、一緒にするな、お前らオマケの癖にとか言われてしまいそうなところが、厳しいところではあるんだが。