電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

選挙行かない奴は悪い奴という考えは最早ファシズムだ

総合格闘技の関係者として、DREAMの存亡をかけた大会(?)の当日も翌日も、ちっとも格闘技に関係ないことばかり書いているのも、如何なもんかと思うんだが、昨日、自分が選挙に行かない話を書いたら、ツイッターで数はそんなに多くはないけれど、圧倒的に否定的な、ヒステリックにもみえる故に印象的な意見を複数頂いた。

極端に恣意的に要約すると「選挙行かない奴は悪い奴」。

民主主義なんて潰してしまえという意見、国体の維持を否定する意見すら、それが言論の範疇であるならば許容するのが、民主主義の原則ではないのか。

例えば、禁煙が最早ファシズムであることは論を待たないし、エコ関連なんかも、ここ数年で、ほぼファシズムになりつつある。「選挙に行こう」も、そこに到達しそうな気配を感じる。

自分が使っている「ファシズム」という言葉を定義しておく。簡潔に書けば、ファシズムとは、マスメディアによる大衆扇動と刷り込み、結果としての原理主義のことだ。ナチに代表される第二次世界対戦前のファシズムは、その原理が、国家主義全体主義、排外主義に向いていたのが特徴であったわけだ。転じて、国家主義全体主義を指して、ファシズムという言葉を使うことも可能だろう。が、自分はそういう意味では使ってない。大衆扇動とその結果生まれた原理主義を、ファッショであると言い、ファシズムであると使う。

ナチに代表されるファシズムは民主主義のイチ形態として実現されたことから理解出来るように、民主主義しかファシズムを生まない。

そうであっても、そのファシズムすら許容するからこそ、自分は極めて消極的ながら、民主主義を支持している。消去法と言っていい。だから、ファッショな人達が、わらわら沸いてくることも、しょうがないとも思う。いなくなれとか、消えちまえとか、死ねとかは思わない。けれど、これだけは言わせてもらう。

お前ら馬鹿だ。くそったれ。