電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

すべては美しさが表現される為に

昨日のネタ、連載にすることにした。思ったより具体的な反応を多く頂いたからだ。「カナかな団首領の自転車置き場」さん(id:kana-kana_ceo)には、ツイッターでの、@snowystreetさんとのやり取りを、「はてなダイアリーにおける文書の視覚整形について」としてマトメて頂いた。深く感謝。

さて、連載タイトルは、昨日のエントリーから「ネットにおける」を省いて、シンプルに「正しい日本語の書き方」にする。が、範囲を広げたようにみえて、むしろ狭いところに向かうかもしれない。元々自分個人の興味でいえば、それこそ句読点の使い方とか、カッコの使い方とか、ネットだからということではなく、日本語を書くということに関する一般論をやるつもりだった。

が、反応の多くは、むしろ、HTMLやCSSと日本語の折り合いという観点からのモノだった。一番印象的というか、もうこれが結論だろ的なのが、コウタロウさんのブックマークコメントによるこれ。

「日本語の書き方的な正しさ」「HTMLやCSS的な正しさ」「見た目の読みやすさ」の乖離にはいつも悩む。

まったくもってその通りであり、強く同意する。意識的な人間は、常にこの三者の間を揺れ動くもので。つまり、そのどれかに偏ってはいけない、バランス問題なのだ。

このコメントは非常にバランスの取れたものなんだが、技術寄り(に見える)方々からのコメントも頂いた。曰く「正しいHTMLの書き方も重要」的な。

実は、自分は技術者の端くれでもあるんである(誰も覚えてないんだが)。だから、この連載、技術的な側面からのことを書く……とはならないんだな。まずは、前提を確認しよう。

技術は技術が目的となっては絶対にいけない。技術とは、技術以外の何物かの為にその身のすべてを捧げるべきだ。正しいHTMLを使いましょうと、人に言う前に、まずは自分はHTMLを使って表現される日本語の正しい使い方を知っているのかと問うべきなのだ(日本語じゃなくてもそれは同じことだ)。HTMLやCSSは、ネット上で何事かを表現する為の技術であり、目的はその何事かを表現することであり、決して、HTMLやCSSが正しく使われることが目的ではないのだ。

極論してしまえば、HTMLやCSSを間違って使っていようが、表示された結果が製作者の意図通りであるなら、それはもうそれでいいのであって、HTMLやCSS的な正しさなどはどうでもいい。ところが現実として、正しくHTMLやCSSが使われていないと、実は製作者が気付いてないところで、正しく表示されない可能性がある。だからこそ、HTMLやCSSの正しさが問題となるだけなのだ。

ここの順序を取り違えてはいけない。自分が技術者であるので、どらかと言えば技術者の肩を持ちたい。が、ここだけは譲れない。肩の持ちようがない。技術はそれ自体が目的になってはいけないというのは、もう絶対的な確信であったりする(自分は気が弱いので滅多にこういう確信は持たないので、数少ない確信のひとつでもある)。勿論、自分の仕事へのモチベーションや目標設定として、技術自体や技術を取得することを目的化することは構わないし、そうやって自分の仕事に誇りを持つことは大切だ。技術という言葉の示す範囲をもっと広めて、例えば、いわゆる技能オリンピックのようなモノを目的化することだってあるだろう。が、ここで自分が繰り返し書いている、技術は技術それ自体を目的化してはいけないという前提と、それは決して矛盾していない。

と、前フリだけで、1回目は終わってしまうんだが。次回は「改行」がテーマ。実はこれ色々と深いんだな。数日中には。