電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

ポジティブ満帆

久々にツイッター周辺の話。

「RTは自分がブロックした人間の発言を強制的に読まされるから嫌だ」的な発言を、何回も見かけたことがある。つまり、複数の人間が同じようなことを呟いているわけだ。気持ちはわかるんだが、そこまで人を嫌いにならなくともという気がする。さらに言えば、自分がそれほど他を嫌っていることを公言出来るメンタリティーが、自分には理解出来ない。ドロドロ渦巻くルサンチマンの断片を、ツイッターで吐き出してどうするんだというか。

と、ここまで書いて気がついたのは、自分は元々人嫌いで、人付き合いも最低限しかしないし、独りでいても寂しいという感情すら起きない。極端な性悪説なんである。人間なんてその程度というのが生きていく上での大前提で、だから、他人に求める基準が低いんだな。わざわざ人を嫌いになったりしない。誇張でもなく、嫌いな人なんていない。勿論、あれは間違っているとか、あの考えはダメだとか、そういう感情・思考はある。だからと言って、嫌いという感情は沸かない。

人を嫌いになるということは、人を好きになる以上にパワーを必要とすることで、自分は、かなりパワー不足な人間なので、あっちこっちに力を使っていたら持たないんだな。普段はセーブしておいて、使いたいところに集中して使わないと力が出ないんである。

誰かを嫌いになって、あのヤロいつか潰してやるという思いが、逆にパワーを生むこともあるだろうし、自分でもそう思おうとすることは、よくある。が、ダメなんだなあ。そう思ったことすら忘れてしまう。

例えば、ツイッターに関していえば、自分がブロックなり、やり取りの結果リムーブされたりすると、逆にこっそりその人の呟きのウォッチを始めてしまったりする。そこまで人を嫌いになれるメンタリティーに興味がある。自分にそういう感情がないので、好奇心が沸くわけだ。

結果として、おれくらい根っからネガティブになると、むしろポジティブに生きていける。まさかと思うが、そういうことなのかもしれない。そうか、おれってポジティブ満帆。今日から胸を張って生きていこう。