電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

シニカルに語れ戦争、または戦争を知らない親父たちは如何にして戦争を語ればいいのか

去年の8月15日には、岡本喜八「血と砂」について書いた。自分にとって最高の「戦争映画」だと思う「スローターハウス5」は、特に日付に拘りなくここに書いた

さて、今年はどうしようと思って、スタンリー・キューブリックの「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」を観た。やっぱり傑作だよなあ、これ。キューブリックに関しては、実は語れるほど作品を観ていない。リアルタイムで「バリーリンドン」を観ているのが数少ない自慢なくらい(中1か中2だった、何てマセたガキだ)。

なので、自分にとってキューブリックは、この映画と「時計仕掛けのオレンジ」の人なんである。もうシニカルさが全面に出た、それでいて大作な映画を撮る人。そういう感じ。

自宅仕事をしている時は、相変わらず、J-WAVEを流しっぱなしなんだが、先週の夜の番組で戦争を語るシリーズみたいなことをやっていた。20時からの「JAM THE WORLD」、キャスターが何故か面白いことに自分と同世代の親父が多いんだな。戦争なんて知るわけないのであって、直接は語れないんである(なので、爺さん婆さんを呼んだりしてた)。

戦争を知らない子供たち」を作詞した北山修と歌った杉田ジローは共に1946年生まれ、いわゆる団塊の世代の先駆けであり、終戦直後の生まれだ。自分は1962年生まれ。戦争なんて知るわけないんである。勿論、自分達の世代であるなら、親や祖父母からの戦争体験は直接訊いている(自分は祖父母も東京である為、関東大震災の話まで聞いている)。かと言って、それを説得力持って語ることなんて、出来るわけがない。

自分が戦争について語ってくれと頼まれたとしたら、自分があれこれ言うより、この映画なり、「スローターハウス5」なり、「血と砂」や「肉弾」(やはり戦争映画でありながら、おっぱい映画でもある後者についてはここで書いた)を見せると思う。そして、後は、観た者達が考えればいい。

ただ、ブラックユーモアという手法は、ひょっとすると、よくは知らない何事かを的確に伝える為に唯一可能な手段なのかもしれないとは思う。つまり、戦争を知らない親父たちでも、「博士の異常な愛情」的な方法を取れば、戦争について説得力をもって語れるのかもしれないということだ。最も、この映画を観て、戦争をしたいと思う人間だっているのかもしれない。それはそれでいいのである。自分は、絶対悪なんて存在しないと思っていて、いや正確にいえば、絶対悪と決めてしまうことの偏狭性こそが唯一の絶対悪だと思っていて、戦争をしたい人達がいたっていい。それが人間なんだから。

映画の内容についても、少しは書いておこう。この映画、ピーター・セラーズの一人3役と、その素晴らしさが語られることが多いが(コメディの割りには、実はあまり笑えない映画だが、ストレンジラブ博士だけは何回観ても笑える)、自分はジョージ・C・スコット扮する将軍の演技が圧倒的に好き。あと、爆撃機の少佐がテンガロンハットをカブり、常に西部劇風の音楽が流れるところ。素晴らし過ぎて、戦争のことなんて忘れてしまいそうな映画である。