電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

プログラミングと政治を一緒にしてはいけない

小飼弾という人、少なくともその著作はほぼ読んでなく、アフィリエイトだらけのブログをたまに眺めているだけだが、ムチャクチャなことを書くことが多い。精神分析の概念を国家間の関係にまで援用して、収拾つかなくなった岸田秀みたいに、何でもプログラミングが出てきてしまう。別に個人のブログで何を書こうが勝手だと思うんだが、ここまで酷いと、さすがにおちょくりたくなる文章をみつけた。

「News - 鈴木宗男衆議院議員上告棄却」

最初から、さっぱり意味がわからない。

佐藤優の文章を引用して)
これの意味するところは、選挙より司法の方が偉いということだからだ。

プログラマーより、プログラムの方が偉いということでもある。

仕様を直すより、仕様に従う方が重要だということだ。

はあ? 選挙より司法が「偉い」とは一体何を言いたいのだろう。恐らく、好意的に解釈するならば、有罪が確定すると議員資格を失うことを指していると思われるが、それを「偉い」と表現することに、まず疑問を感じる。

2行目からのプログラマー云々に関しては、さらに、わからない。またもや、好意的に解釈するなら、「選挙(およびそれで選ばれた国会議員)」をプログラマーに喩え、「司法」をプログラムに喩えているということなんだろうが、選挙と司法という概念と、プログラマーとプログラムという概念は、お互いを比喩するに値する相似形をもっていない。さらには、「仕様を直す」と「仕様に従う」も同様(というか、さらに酷い)。つまり、この3行、何かを言っているようで、何の比喩にもなっていないんである。

元ネタになっている、佐藤優の文章についても少し。最高裁裁判官に法曹資格を持たない人間が入ることは、制度として問題であるかどうかは別として、内閣に議員以外の人間が入ることと同じで、特に珍しいことではないが、この人事自体が『最高裁判所という組織自体が、「司法権の独立」という名目からかけ離れた組織』であるというのは、まあそうなんだろうなとは思う(元々個人的には、日本の司法など信用していない。現行憲法下において、自衛隊違憲であるという判断を出せない司法など、ハナから政治的な存在であるとしか判断できない)。

小飼弾の文章に戻ろう。

その法を書く人を、選挙されていない人が裁く。

ここに違和感を感じない人は、議会制民主主義の主にふさわしいとはいえないだろう。

上記で「ここ」というのは、選挙で選ばれてない裁判官が、選挙で選ばれた議員を裁く事を言っているんだろう。が、これって、そんなにおかしいことか? 佐藤優の元文章は、最高裁が「司法権が独立していない」ということを言っているだけなのに、小飼弾の方は、日本の司法の根本的な否定になってしまっている。つまり、裁判官も選挙で選べという。別にそういう主張をしたいなら、それはそれでいい。が、その後に続く文章も酷い。あまりに酷いので、ついつい、全文を引用したくなってしまうところを抑え、ポイントのみを引く。

しかしそれを司法の仕事とするのは、コンピューターにプログラマーを診断させているに等しい愚挙ではないのか?

また比喩がメチャクチャ。比喩を取っ払って、中身を繋げてみるとはっきりする。「国会議員を司法が裁くのは愚挙」と言っているんである。では、一体国会議員が違法なことをしたら、どうすればいいの?

結びも酷い。

我々がプログラマーよりもプログラムの方を大事にする限り、この国の運営は司法にとって合理的なものでありつづけるだろう。

最後まで比喩がメチャクチャ。何を言いたいのか、さっぱりわからない。ひょっとすると、自分でも何を書いているのかわかってないんじゃないか。恐らくこの人、ホッブスもルソーも読んでないし、恐らく民主主義について何も勉強していない。「議会制民主主義」なんて書き方をするところから、そう推測する。

誰か「小飼弾検証ブログ」とかやってくれないかな。いくらでもネタがありそうな気がする。この人が酷いことばかり書いていることに、どれほどの人が気が付いているのであろうか?