電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

近藤有己に宝物をもらった

日曜のケージフォース、自分しか見ていない光景について書く。

ディファ有明に来たことがあるマニアな人なら、その構造というか位置関係は多少わかると思うんだが、入り口の右手前、自動販売機が並んでいるところに、喫煙スペースがあって、開場してからも半券を持っていれば、そこにいけるし、パスを持った人間はそこに溜まって煙草を吸っている場合が多い。

自分が関わっているGCMの大会だと、自分は朝から晩まで会場にいて、あまり飛ばして走り回ると、ホントに立ち上がれなくなるほど疲れてしまうので、ちょくちょくここでサボって煙草を吸っている。

今大会は、搬入も撤収も、手伝ってくれた方の人数も多く、モチベーションも高く、非常に順調で(スタッフの皆様、心底ありがとうございました)、なので、いつにも増して、ちょくちょくここで煙草を吸っていた。かと言って、自分が担当しているのは、設営だけではないので、ここで1人煙草を吸っている時は、あれもあるこれもある(そしてあれも上手くいかない、これも上手くいかない)と黄昏てることが多い。

選手も多分全員帰り、撤収も終盤、ああ順調だと思いながらも、他に頭の痛いことが山ほどあって、例によって1人きりで煙草を吸っていた。どんより黄昏ていたら、近藤有己選手が、帰るところに出くわした。会場奥の控え室から出てくるところだったんである。

選手の控え室は、会場奥の舞台袖と、会場とは別棟の自分が煙草を吸っているところにある階段を昇ったところと、2箇所に分ける場合が多い(広さが違うので、単純に赤青で分けるわけではない)。女子も含め、控え室の割りの仕事は担当していないので、何か問題が起きない限り、どの選手がどこにいるか、把握してない場合も多い(ちょくちょく問題が起きて、その時点で把握する)。この日は、少なくとも、男子の方では自分が把握せざるを得ない問題は、耳にしなかったので、近藤選手がどこに入っていたのかは、分かってなかった。

なので、ちょっとふいを付かれた感じだったんだが、勿論、お疲れ様でした、ありがとうございましたと声をかけた。雨が降り始めていた。丁寧に足を止めて、ありがとうございます、またお願いしますと応えてくれた、近藤選手の笑顔と、傍らに寄り添う奥様の笑顔が、びっくりするくらい素敵な笑顔だったんである。

負けて、照れ隠しの笑いを浮かべる選手は、結構いる。自嘲から苦笑してしまう選手もいる。けれど、近藤選手の笑顔は、そんな笑顔ではなかった。格闘技の世界に関わり、もう随分長くなったが、負けてあんな笑顔を見せる選手を、自分は見たことがない。どう素敵なのかと言われると、上手く説明する自信がない。ただ、とにかくピュアであったというか。人間力。達観。いくつかの言葉が浮かぶが(勿論、不動心というキャッチも)、そのどの言葉をもってしても、正確には言い表せていない、もどかしさを感じる。

自分は、もう何も応えようがなくなって、ただただ、何回か礼をした。額が膝につくくらい深く。そうして、顔を上げると、そこにはまだ2人のとびっきりの笑顔があった。

大会の出来がよくて、疲れが吹っ飛ぶという経験は何回かしている。比喩ではなく、物理的な話であり、いわゆる脳内麻薬系の物質が分泌されて、物理的な疲れを感じる回路をシャットアウトするんだろう。滅多にはないけれど、確かに何回か経験している。心の状態が、肉体の疲れを凌駕する瞬間。

この日のメインイベント、近藤有己選手と藤井陸平選手の一戦は、心に複雑な感慨を与える試合だった。自分が近藤選手のファンであったことは、昔から自分の文章に触れている方々は勿論ご存知だろう(最近は限りなく少なくなっているとも思うが)。そういう自分に取って、どこまでも切ない試合だったんである。スカっとするファイトでは決してない。だから、自分の心は曇った。複雑な思いで、かなり、どんよりした。そして、疲れが増した。

こんなご時世で、格闘技興行の運営なんて続けていても、何もいいことないので早く辞めたい。責任感だけで、こんなことを続けていても、自分自身が磨耗していくだけだ。最近、そういう自分の気持ちを隠すことすらなくなっていた。近藤選手の笑顔は、そんな弱気な気持ちを、全部、ふっ飛ばすものだった。撤収も終了して、いつもと同じに久保親分と軽い反省会をしていた時、今日はかなり元気な顔をしていると言われたほどに。

お金を払ってくださるファンの皆様の前ではなく、イチスタッフの自分1人の前でだけ見せてくれた、近藤選手の笑顔。興行を運営する側として、それはどうなのという気もしなくはないのだ。けれど、たまには、自分にも、いや、自分だけに、こういうご褒美があってもいいと思った。

格闘技の神様が、近藤有己を通して、自分にご褒美をくれたのだと理解する。もう少しがんばれ、と言われた気がした。