電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

感性の鈍さを自慢されてもな

DEEPのJCBに参戦の決まった青木選手の会見での発言に触発されたというより、むしろ、それを受けたグリフォンさんの『「生で見ないなら口を出す権利は無い」と青木は言ったが、んなことねー。我、TV観戦を愛す。ニアライブを欲す。』という、自分はライブで何か感じる感性に乏しいので、テレビで観ますという寂しい告白に触発されて、下記を連発で呟いた。編集しようかとも思ったが面倒くさいので、そのままアップして、多少の補足を加えておく。

元の青木選手の発言にも少し触れておけば、ファンに対する多少の挑発的なニュアンスはあるにせよ、チケット買って観にきてくださいねという意味以外のモノを自分はそこからは感じられなかった。

つまり、発言をそのまま伝えることを重視して、ニュアンスを正確に伝えることを放棄している専門マスコミの問題の方が大きいと思う。なのに問題発言視して、勝手に騒ぎ立てて、他人事にしてる。何やってんだかなあ。

前提としては、繰り返し書いていることだが、人は何を言ってもいいのである。極論すれば、観ないでモノを言ってもいい。一般的にはそれはモラル違反とされることも多いようだが、自分は別に構わないと思う。自分だって投票いかないけど、選挙についてモノを言うもの。人には言っていいことと、言っていいことしかないのである(結果訴えられても知らないけど)。

「生で観ないと語る資格なし」という言い方は、散々マニアが言ってきたノリなんだけど、それを言ってきたマニアは今どこにって話だよなあ。マニアも会場に来ない時代。

マニアが「お前はわかってない」とライトなファンを馬鹿にする構図ってのは格闘技の世界だけではなく、よくある話だが、対象のコンテンツに魅力がある時は、その物言いは迷惑がられつつも、まだ価値はあったわけだ。

ところが、そんなマニアはどこにもいなくなってしまい、誰も言わなくなってしまったから、お調子者の青木くんが言っているという話。

キャスト>コアスタッフ>関係者>コアなファン>ライトなファン。昔はそういう幻想のヒエラルキーが間違いなくあって、ところが、そのヒエラルキーは既に世界に容認されなくなっているわけだ。

勿論、ここでスタッフにあえて「コア」とつけたのには意味があって、ハタからみたら、誰がコアだなんてわからない。逆に言うとその人がコアだと知っているファンは、それだけでコアなファンになる資格を得ていたわけだ。

基本的にコアなファンは、コアなスタッフや一部のキャストの悪口を書くことで、コアなファンであることを確認し主張してきたわけだ。ところが、ここまで情報が均一的に伝わるようになってしまうと、コアなファンはコアであることを維持できない。

つまり、それがどういうことかと言えば、ファンとしてのアイデンティティの危機が訪れているということでもある。こうなってみれば、つまりコアなファンであることの快楽が、システム的に保障されなくなっていること。

現状の格闘技の世界においては、会場に来ることのコアさ重要さは、コアなファンが関係者化することによってのみ、わずかに保障されていると思う。それは昨今のアイドルの売り方などを見てもそう感じるので、恐らく格闘技の世界だけの話ではない。

未だに関係者化しない、良心的なコアなファンというのは、わずかに存在する。格闘技の世界に関してもそうだ。自分がフォローしている人、フォローしてくれる人の中にも、間違いなく存在する。

が、何故かそういう良心的な方々は、例外なく声が小さい。コアなファンであることを主張すらしない人が多い。そういう方々にとって、素敵な興行を提供出来るか否か。プロモーターが考えるべきことは、勿論そこであるわけだ。

が、それを考え過ぎて、ズレてしまって、一部の声の大きい関係者化したがるマニアに向けてしまうと、コンテンツは腐り始める。コアなマニア向けで採算を取ろうとすると、何故かそうなる。マニアはエバンジェリストとして機能しない限りは、一般ファンの流入を阻害することにしか働かない。

結論でないまま(出さないまま)、ダラ呟きしてしまった。明日のブログにでもマトメるかな。

今自分の呟きを読み返してみて思うのは、やはりダナの「ネットは見るな!」は至言だよなということ。恐らく、青木選手は、自分もツイッターをやったりしてしまうから、ネットのどうでもいい言葉が気になってしまうのであって、本来、そんなものは気にしなければいいだけの話なのだ。いや、ネットの一部の反応を相手にしていると、本質的なところを見失うから、あえて無視した方がよい。

プロモーションの側もマスコミすらも、今やネットのジャンクな発言にオロオロして右顧左眄して、そして真に大切にすべきモノを忘れつつある。

んなこと言ったって、そういうネットの力を借りなければ何も出来ないだろと言われてしまえば、それはまったくその通り。恐らく格闘技プロモーター側の人間で、自分ほど、実体験として経験している人間はいない。けどね。けどね。……結局、また格闘技失語症が酷くなって、独り立ち尽くすのである。