電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

世界が変わればモラルも変わる(のか?)

グリフォンさん(id:gryphon)が何故かいきり立っていて、いや何故かなどと言ってはいけないか、こっちもネットライブで、グリフォン・ホモ疑惑とか大声で叫んでいるわけだし。

グリフォンさんとのやり取りに関しては、以前こんなことを書いている。

「がんばれ、グリフォンさん!」

まあ、グリフォンさんについては、とにかく「危うい」と、引き続き忠告させて頂く。見ちゃいらんないレベルに突入しつつあって。

が、まあ、所詮、グリフォンさんだからね。どうでもいいっちゃいい。昔からの知人という接点があるからこその忠告であって。自分が抱える問題としては、匿名と実名、そして書くことのモラルという問題に行くつく。匿名性と実名性に関しては、以前こういう事を書いている。

「匿名」というのは、本来、名前を隠すことの意味しか持っていなかった筈だ。それが「匿名性」と「性」という度合いをつける必要が出てきたのは、インターネット上で「匿名とは何か」という命題が発生したからだ。つまり、匿名ではあるけれど、自己同一性は明確である場合、それは一体どういう存在なのかという話になって、初めて「匿名」は「匿名性」と「性」をつけて度合いで計る必要が出てきたという。



簡単な話で、本名非公開の著名ブロガーは匿名なのか。これは二元論では語れなくなる。リアルな生活における本名を隠している存在であっても、固定のハンドルネームで自己同一性を保持しながら、そのハンドルネーム自体が著名になった場合、そこに実名性が発生して、匿名性が下がるわけだ。



『「どこかよそでやってください」と言いたくても、よそはないのがツイッター』

自分はネットに書き始めてから、自分の本名やら立場やら何やらを隠したことが一度もないので、それは格闘技の関係者になったからというレベルではなく、最初からそうだったので、イマイチ顔バレNGとか本名バレNGとか、そういう人の気持ちはよくわからないところがある。だって、そんなの卑怯じゃないか。

勿論、それぞれの人の状況とか、立場とかは、精一杯、斟酌したいとは思う。会社にバレるとマズいとか、ネットでナンパしてるので身内にバレるとマズいとか(それ位しかないんじゃないかとも思うけど)。例えば、関係者の匿名リークによって、何らかの犯罪が告発されるということだってある。だから、匿名で発言すること自体の価値は、自分だって認めている。

かと言って、匿名でモノを言うことは卑怯だという当たり前の価値観すら、既に壊れつつあるような気がして、それは、益々人心の荒廃しかもたらさないとも思う。

その意味で、ブログより、何故か実名性が高いツイッターが、当たり前のインフラ的な仕組みに成長していくことは健全だわ。