電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

競技化するとつまらなくなる……か?

競技化が進むと、格闘技はつまらなくなるんだろうか? 自分はまったくそうは思ってない。が、そう看做す人が多いことも、また事実。総合に比較すれば競技化が進んでいるボクシングの長谷川穂積だって、競技とは関係ない、母親とのお涙頂戴のストーリーで盛り上げたんだし、やっぱりキャラやネタが必要なんだ、そうでもしないと競技なんてつまらない、という言われ方をよく見かける。

違うね。

長谷川穂積は権威ある場で勝ち続けたから、世間に届いたのだ。もう根本はそこなんである。つまり、スペクテータースポーツとしての競技を、競技として楽しむ(楽しませる)為には、勝利自体の権威を上げること、その周知を徹底すること、それしかないんである。権威と価値は、緊張感を生む。サッカーは、Jリーグが地上波で放送されることは、ほぼなくとも、ワールドカップ(や今回のアジアカップ)は、あれだけの数字も取れるではないか。すべては、勝利の権威と価値をどう作り、どう利用し、どう見せるか、それですべてと言っていい。

初出時は尻切れトンボで終わってしまったこの連載、最後の数回だけ、今回用に書き下ろすつもりでいて、それは、スペクテータースポーツという、20世紀後半になって成立した競技のポストモダンな状態についての分析と提言になる予定なんだが、その前フリをアジアカップに刺激を受けて、早速書いてみたというわけ。

今回の内容は、その前フリの前フリというか、基本的前提となる話。

ジャッジを考える10 2006.08.31


というわけで、久々に連載に戻りますが、この連載、某高島学さん方面から「長過ぎる」と不評なんですが、そんなこと言われたって、某高島学さんを始めとするプロの方々が、商業誌でこういうことやってくれないから、一銭にもならないのに、自分がやってるんじゃないですか(*1)。


というわけで、某高島学さんは、文句言うなら、今度飯でもオモるように。


さて、前回書いた、数量化・抽象化の話を、柔術グラップリング・総合に戻します。


が、その前にひとつ。プロボクシングとアマボクシング、どっちが面白いですか?


言葉の定義から細かくやると書いて、実際、細かくやってる一連の文章の中で、突然、恣意的な「面白さ」を問うことは、ある意味反則であることは、自分でもわかっています。


けれど、あえて。プロボクシングとアマボクシング、どっちが面白いですか?


「アマ見たことないから、わかんないよ」と言う声が出ることは十分予想されますが、それはちょっと別にします。


自分は、双方とも、ジャッジやら何やらちゃんと理解して見れば、どちらも面白い。そう思います。


けれど、やはり多くの人は、プロボクシングの方が面白いと答えるのではないでしょうか。そんなことはない、アマの方が面白いと言われると、かくかくしかじかで、だからプロが面白いと明確に答えられないところが厳しい気はするんですが。


それでも、やはり、プロの方が面白いという声の方が、圧倒的多数になると思うんです。


では、組技系の競技ではどうでしょうか? それを問うのに、丁度いい例が、7月23日にスマックでやった、第1回の「SMACKGIRL GRAPPRING QUEEN TOURNAMENT」でした。2回前に書きましたが、スマックは、


1)判定なし(ドローとなる)
2)全体での判定
3)ラウンド毎のポイント制
4)ある有効な状態にポイントが与えられるポイント制


と分類した中で、以前は、2)を採用して、グラップリングを行い、今回は、4)を採用してみたのです。4)を採用すること自体が、そんなに簡単な話ではなく、スマックには、「IF-PROJECT」の浜島邦明さんという柔術の権威と、日頃から懇意にさせて頂き、お世話になっている為、その移行が、すんなり出来たことは、過去に書きました(*2)。


が、そういう運営上の問題ではなく、純粋に観客の目から見て、2)の形態をとる「SGG(SmackGirl Grappring)公式ルール」と、4)の形態をとる「Giグラップリング公式ルール」、どちらが面白いか。


色々な人に感想を訊いてみました。理解度やら何やら、統計母体をどこおくかで、結果はまったく変わってくるとは思います。加えて、「純粋に観客の目」という条件自体が難しいので(違うファクターを恣意的に皆さん導入してしまう)、なかなか結論は出ないんですが。


個人的な感想を書いておけば、自分は実は「Giルール」の方が面白かったんです。が、やはり、多勢はSGGルールの方が、面白いかなというところでした。が、この程度の差であるなら、他のファクターを考えると、いつもは興行性に振り切るスマックガールが、このグラップリングに関しては競技性に振り切ってみようと考えたことは、間違いではない、続ける価値ありと判断できたことも、また確かです。


細かいことは、女子格闘界の現状やら何やら、色々なファクターがあり、今回の連載の趣旨とは、どんどんズレてしまうので、また別の機会に、としておきますが。


何が言いたいのかといえば。


つまり、ボクシングに代表される打撃系の競技に比較して、各種グラップリング・組技系の競技は、適度な数量化・抽象化がしやすく、その結果、興行性を失わずに競技化を進めることが可能ということです。


つまり、プロボクシングとアマボクシングの差ほど、SGGルールとGiグラップリングルールには差はなく、抽象化されても、本質も失われてないということです。


加えて、各種グラップリングにおいては、まさに点取りゲーム化しているところを、その「ゲーム性」(この言葉はあまり使いたくないのですが)ゆえに、興行として面白く見せうる可能性を秘めているとも言えます(*3)。


今回の結論は、その競技の性格により、同じ数量化・抽象化を行うにしても、結果として見られる現象は異なるということ。打撃系は、数量化しにくく、そこをあえてすると、過度に抽象化せざるを得なくなり、組技系は、それに比較すれば、穏やかに抽象化できるということです。


それでは、打撃と組技、その双方を使う総合格闘技においては、どうなのでしょうか。


いい例があります。アマ修斗のジャッジ方法です。次回は、これについて、考えてみたいと思います。

*1:そういえば、この後に、高島さんは確かファイト&ライフのコラムだったかで「理想のルール」を提案してた(今探してみたが見つからない)。あれはマヌケなルールだったなあ。なんつーか、わかってねえっつーか。と細部に立ち入らずに断言出来るレベルだった。

*2:この連載の中ではなく昔のブログの中でのことで探してもないので念の為。なので、ここで繰り返し、ハマジーニョこと浜島邦明さんに謝意を表明させて頂く。貴方がいなければ、自分の実践的試行錯誤は実現しませんでした。浜島さんに関しては、「だいじょうぶ、メウアミーゴ!」「自分達の遊び場を自分達で壊す子供(を馬鹿と言っても何も変わらない)」も見て頂けるとうれしい。

*3:なんで使いたくないかといえば、簡単な話で「ゲーム性」という言葉は、定義が難しいのだ。曖昧な使用方法にならざるを得ない。それはこういう文章においては、望ましくない。大昔、格闘技全般を分析するにあたり、X軸に「興行性⇔競技性」、Y軸に「ゲーム性⇔武道性」と取ったことがあるんだが、そこそこ上手く説明できたものの、どうもしっくり来ない。興行性と競技性は、完全に対立するものではないし、それはゲーム性と武道性も同様だ。かと言って、こういうアカデミックなアプローチをする人がまるで存在しない状況というのは、やはり問題であると思う。実際には、大学や大学院の体育学部やらそれ系のところで、多少は行われているとは思うものの、それがファンへの啓蒙という意味で表に出ることは、まずないわけで。