電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

カダフィ大佐の狂気こそ貴方の正気

カダフィの、あの馬鹿馬鹿しい演説をみて、まるで、チャップリンの「独裁者」、だから呆れるという発言を随分とみた。

チャップリンなど観ていない若い子に簡単に説明しておけば、「独裁者」は、架空の小国の独裁者と、その独裁者にそっくりな男を、チャップリンが2役演じる、チャップリン初の完全トーキー(って知ってる?)で、そろそろ晩期かなの1940年の傑作。チャップリンは1977年まで生きたけど、この映画の後は極端に寡作になってしまう。だからトーキー作品は少ない。さすがにサイレント映画なんて今更観たくないよという若者でも、トーキーで普通の映画である、これと「ライムライト」くらいは観た方がいいと思う。

でね、カダフィが「独裁者」のまんまで、呆れるという話。

自分は全然そう思わないんだな。だって、あれが人間そのものなんじゃないか。というか、貴方の回りにもあの位おかしい奴、山ほどいない? というか、貴方があの位おかしくない? おかしさのベクトルが違うだけで。カダフィは国家のトップになってしまったからこそ、滑稽さが引き立つけど、あの程度の狂気なら、少なくとも自分の身近にもいくらでも存在している。みんなおかしいもの。

だからと言って、カダフィの狂気を認めよとか、そういう擁護発言をしたいわけではないのは勿論のこと。けれど、あれは、あはは、3丁目の八百屋の話好きな親父に似ているなあとか、そういうレベルで見るべき映像であるような気がする。そして、自分の狂気を見直すべき。自分は正気なのか。ホントに狂ってないのか。

いつも、凄く不安になる。でも最後は、まっいっか、キチガイならキチガイでと思ってしまう。みんな、おかしいし。