電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

七夕の失敗

今年の七夕も、東京は曇り空だったわけだが、ガキの頃から、なんでこんな天気の悪い頃に七夕をやるのかといえば、天気が悪いからこそ、織姫と牽牛が中々出会えない感があっていいのだろうとロマンティックな想いを持っていたわけだが、大人になると、これは単に旧暦の7月7日をそのまま新暦に移行してしまったのが失敗だと気付く。

事実、旧暦の7月7日そのままなり、新暦の8月7日に移行して七夕を祝う所もあるようで、新暦の8月の初旬であれば天気はいい場合が多い筈で、という事は、自分のガキの頃の「なかなか出会えない感」は単なる思い込みで、実は明治政府のケアレスミスかよと何でもかんでも政府のせいにしてしまうのは間違いで、七夕は国民の祝日ではないのだから、要はそれを報じるマスコミの問題が大きいのではないかと、おれの場合何でもかんでもマスコミのせい。

例えば、お盆などは旧暦の7月15日であるにも係らず、自分がガキの頃から、休暇としては普通に新暦の8月だったわけだ。つまり、旧暦を新暦に置き換える際に、季節感にあわせて正しく移行された例があるという事であり、やはり、お盆は夏休みと密接に係っているから8月が相応しいのと同様に、本来七夕は新暦の8月初旬であるべきなのではないか。

七夕を更に色々調べてみると、旧暦だと月齢が一定してるから、七夕の夜は常に上弦の月であるという事はわかったが(だから天の川が見える可能性が高い)、肝心の織姫牽牛伝説の詳細がよくわからない。自分の記憶をほじくっても、どういう話だったのかよく思い出せない。とにかく引き裂かれたカップルが年に一度だけ二人を隔てる天の川を渡って出会えるという話で、何で二人が引き裂かれたのかという辺りになると、色々話があるようだ。

ウィキペディアには、働き者の2人が結婚したら、まるで働かなくなってしまった為、天帝がお怒りになったなどと書いてある。これを真に受ければ、若いカップルが結婚した勢いで昼間っから熱心にセックスしまくって、はまりまくって働かなくなってしまって、偉い人に怒られたものの、1年に1回だけ出会う事を許されて、今宵はやりまくりますという日が七夕であるという事で、つまり、七夕というのは個人のエゴを肯定していい日と理解すると、笹に願い事を記した短冊ぶらさけるというのも、普段は共同体の利益を優先すべき日本古来の文化において、七夕の日だけは個人主義的な利益が許されるのだと想像は及び、村祭りの夜に、青姦しまくりなカップルだらけの裏山の神社の境内の風景とか浮かんできて、なるほどなと納得したりする想像力豊かなおれ。