電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

今朝のフクイチ

3月の下旬から、「今朝のフクイチ」と題して福島第一原発のモニター画像をツイッターに貼り始めた。毎日やると決めるとその縛りがキツくて続かなくなるので、週に4、5回目処に続けている。今のところ、グーグルプラスではこれやると決めた定番ネタもないので、まずはこれを移動する事にした。

今のマンションに引っ越して10年近くになるんだが、仕事部屋兼寝室のカーテンは1年365日開けなかった。エアコンは6月から10月くらいまで除湿を中心にほぼ点けっ放し。4階なんだが、まるで地下室で暮らしているような生活である。が、今年は7月に入ってもしばらくエアコンなしで粘ってみた為、風を入れる為に、朝にはカーテンを開け、夜にはカーテンを閉めるという当たり前の生活をするようになった(正確に言えば夜でも室内の電灯を点けずにカーテンを閉めない事も多い)。

その結果、日の出の時間に敏感になった。自分は極端に早起きなので、大体日の出の頃には起きている(不規則なので寝ている事も勿論ある)。「今朝のフクイチ」画像をキャプチャーする為に時間を確認するというのもある。

ああ、日の出の時間は変わるなあと気付く。今の時期になると、もう日の出の時間は遅くなり始めている。夏至を過ぎたんだから当たり前と言えば当たり前なんだが。そうして、朝の散歩でもしながら俳句でも詠みたくなる。時間的余裕があれば早朝の散歩ほど気持ちいいものはない。まあ、概ね余裕はないけれど。日本人らしく、美しく潔く枯れていきたいと思うのである。侘びさびをきちんと感じられる爺さんになりたい。

上記は4月5日のもの。何となく平成ガメラの1作目で破壊した東京タワーにギャオスが巣食うシーンを思い出す。あれは確か夕焼けだったけれど。津波の映像を始め、震災は、映画のようなシーンを現実の風景とした。

5月の下旬まで、この東電のモニターは静止画だった。今は動画で原発にかなり寄ったものの、角度的に朝焼けが見えなくなり、あまり美しい画像はなくなってしまった。勿論、フクイチ周辺の美しさを愛でる事にあまり積極的な意味はない。それでも、草や木や花と同じように、フクイチを見つめ続ける人間がいてもいいだろうとは思う。