電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

おいしくない時代を生きる為に

ツイッターでこう呟いた。

佐々木俊尚『「当事者」の時代』(光文社新書)読了。これは凄い。正直舐めてました、ごめんなさい。佐々木さんとは同世代だが、自分もパンピーの割には60年安保前から連合赤軍後までの流れは相当理解してるつもりでいたが「7・7告発」って知らなかった。ボンクラ格闘技専門メディアは特に必読。

ここに補足すべきはそんなにないんだが、メディア、特に格闘技専門メディアの自分棚上げ感に苛立ち続け、かつ、当事者として発言することを常に意識してきたからこそ、もう一度、当事者という意味を問い直す必要を感じた。

本書の中には、そうは一言も書いてないんだが、いわゆる自虐史観はどう生まれたのかを丁寧に解き明かしているとも言える。その出口のなさ感は重い。

311以降、自分が辿り着いた仮の結論、仮の出口は、逆にと言うか、だからこそと言うか、フィクションしかないだろうということだ。ジャーナリズムになんて何も撃てない。でも、どうなんだろう。もう一度考えてみようと思う。