電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

うしみつくんグリフォン

さすがに酷い。誤魔化し・揚げ足取り・言い訳・逐語反論しかなくなってしまった。あまりに酷過ぎて、こっちが呆れて止めるのを待っているとしか思えない。

けど続くな。一生続くな。あの世でも続くな。生まれ変わっても続くな。地球が暗黒物質に飲み込まれても続くな。前回のおれのはここグリフォン様の反論ごときものはここ

さて、今回はようやく本論に戻る気配が出てきたので、そこから。細部は後回し。

しかしまあ、貴方の「本論」はいったいどこにあるんだ(笑)、語っていくと「それは本論じゃない」ばっかりだな(笑)。

何回も何回も微妙に表現をかえながら、「本論」はここだと書き続けている。今回も端的に書いておく。最初のツイッターにおける指摘から、それは何も変わっていない(当たり前だ)。


1)グリフォン様のツイッターに関する要望、クロムに対する欠陥指摘は、致命的に拙い。
2)その内容の検証はせずに、要望や欠陥指摘をすること自体の正当性のみ繰り返すのは痛々しい。


自分は初回のここで、こう書いた。

さて、少しだけ一般論。削除機能というのは、誤動作した場合のリスクが高いので、デザインする側としては気を使うところであるというのが、まず大前提。削除機能には常に確認ダイアログを出したいくらいだ。が、出せば出したで五月蝿がられることもまた確か。


続いて、クロムというアプリについて。グーグルのアプリはアップル以上に、シンプルでいわゆるクール(悪くいえばノッペリ)なデザインをする傾向がある。加えて、カスタマイズをあまり自在にさせず、その分、直感的操作という名の不親切になることが多い(ここまでを否定する人がいるかな? いるんだったら教えて欲しいな)。


ところが、このタブの×ボタンに限っては、自分の記憶だと、かなり古いバージョンから固定で入っていた筈。何でそんなことを覚えているかというと、最初に使った時に違和感を覚えたからだ。あれっグーグルらしくないなと。タブの中に入る文字数も少なくなるし、第一、デザイン的にクールじゃない。が、バージョンが上がっても、ここは変わらない。ということは、そういう設計思想なんである。この削除ボタンは常に見せるという。


今回のグリフォンの論理(?)は、普段は見えない削除ボタンが、にゅっと突然現れた方が注意喚起になるので「優れている」というもの。


どうだろねえ。自分はそう思わないし、グーグルもそう思ってない。だから、デザインも機能性(表示文字数が減る)も犠牲にして固定にしている。が、それが絶対的に正しいとは主張する気もないし、グーグルだってそうだろう。が、ウチはこっちの方が分かりやすいと思っているので、そうしていますでおしまい。


そもそもだ、危険を通知する看板が、危険に近づくと、にゅっと現れるとして、それが注意喚起力があると言えるのか? 言わないと思うなあ(主観)。始めから、ここは危険ですよと、看板立ててあげたいわ、おれは。


つまり、この程度の問題なわけだ。


勿論、上記のグーグルアプリのデザイン性と設計思想の問題など、知らんでもいいと思う。が、欠陥とまで書くならば、知っててもいいとは思いますですよ。

グーグルは、こういう意図をもってクロムの機能とデザインを設計しているとことを、常識に照らし合わせて説明した。

今回、グリフォン様はこんなことを書いた。

悪いけど、「曲がりなりにもシステム屋」さんのだらだらと書いた文章は・・・・そっちの例のネタ<主観(笑)>では「丁寧」なのかもしれないんだけど、分量やディテールにいくら凝ろうが本質的にそれ、それらの機能やデザインが「自分にとっては心地よい、正しいもの」だという説明(それは十分伝わっとる)にはなっていても「グリフォンを含め他の人にも正しいものだ」という説明にはじぇーんじぇーん、なってないんだわ。

上記長々と引用した、おれの「だらだらと書いた」文章において、

イ)ここで、おれは『「自分にとっては心地よい、正しいもの」だという説明』など書いたつもりは、まったくないんだが、どうか。書いているというのなら、具体的に指摘されたし。

ロ)さらに、おれは『「グリフォンを含め他の人にも正しいものだ」という説明』など書いたつもりは、まったくないんだが、どうか。書いているというのなら、具体的に指摘されたし。

ハ)上記において、おれが書いたつもりなのは、グリフォン様の「欠陥指摘」が如何に拙いものであるかなんだが、これについてはどうか。そんなことは書いてないと言われても、おれはそのつもりで、そうでないと言うなら誤読なので、以降そのつもりで対応してくれないか。ここに関しては誤読の可否については問わないから。「だらだらと書いて」申し訳ないと思うしね。けれど、どれも外せない話ばかりだったの。

ニ)加えて、上記文章への返答のここで、グリフォン様は上記の自分の説明を受けいれたとしか思えない新案を披露しているのだが、そうではないのか(受け入れたわけではないのか?)。受け入れたわけではないなら、何故、常に削除ボタンを表示しているのが前提となる案など考えたのか?


ここから先もまだまだ突っ込みどころはあるんだが、いきなり、山ほど疑問をぶつけても、お忙しいでしょうから、今回はこのくらいにしておきますね。

が、さすがに、もう何も具体的に答えず、

「ああ、<メモ8氏にとっては>、ああいうデザインが使いやすいのか、こういう機能は<メモ8氏には>余計だと感じられるのか」という話を、ふつうに楽しく読みました。

なんて、要約になってない要約をするのは勘弁して欲しいという要望は、付け加えておく。


さらにひとつ。が、これには別に答えたくなければ答えなくてもいい。答えなくてもいいが、何故「勘弁して欲しい」などと要望を書いたのかの背景であるので、そのつもり読んで欲しい。グリフォン様は、こんなことを書いている。

そう、デザインや機能の要望は、A案もありゃあB案もある。そしてA案はB案と相互に排する関係にあることもある(あったりまえだ)。
じゃあどうする?
むつかしいね。
むつかしいね。


答えは・・・・・・・・・・みんながとりあえず自由に、、思うままに、”自分の”要望、願望、合理性に沿って、声を上げるのが一番なんだよ。

みんながとりあえず自由に思うままに自分の要望願望を言う。そこまではいい。

さて、疑問はここから。では、その後は、誰が何をどうすべきなんだろう。要望を自由に言った者は、その後は何もしなくていいのだろうか。少なくとも、自分が要望の声をあげることの正当性を長々と書いている余裕があるならば、他にも出来ることがあると思うのだが。

例えば、自分の要望を、もう少し冷静に「論」として検証してみるとか。議論大好きグリフォン様なんだしさ。疑問というより、提案といえるかもしれないね。

 * * *

さて、細部。

どーでもいいことばかり。とは言え、グリフォン様ってやっぱこういう書き方するんだーということを、ほどよく証明してくださっている。

うん、やっぱりそちらの文章、「論理の飛躍」がみごとにあったよね。
そして当方、それを指摘した。冗談の可能性も一応留保して。
われながらたいしたもんだね。

もうさ、こういう揚げ足取りにもなってないことやめない? 高名なブロガー・グリフォン様のお名前に、どんどん傷がついていくだけだと思うんだが。

そこで”例証”とやらに入ると、なぜそれで否定でき、「壮絶なブーメラン」だと論証できるのかね?
自分で論理の飛躍があることを認めた文章がそのもとにあるというのに。

ねえ、ホントにこれで反論できたぞとか思って書いてる? それともギャグ?

とそっちが書いてたからだよ(笑)
てかさあ、そもそも、数々の指摘をしても相手にスルーされているのはこっちのほうだよな。

あのね。おれが書いたらそうだってのなら、おれがどうでもいいって言ったら、どうでもいいんじゃないのか? 即効でそこはどうでもいいって言ってあげたろ。何故それは無視する。不思議。……いや分かるよ。突っ込みやすいからだよな。お前、こー書いたろーと、きーきー言いたいんだよな。それしか理由ないよな。

……まあいいです。この件は酷過ぎて、ごめんなさいが言えないグリフォン様の、チャーミングな開き直りとして受け取っておきます。


続いて「一部引用削除して歪曲」の件。この件もいい加減、諦めたら?

もう1回整理するよ。自分がまずこう書いた。

ツイッターは、うーたらで、こーたらで、あーたらだ。つまり、アプリ使えよという指摘は、多いに説得力を持つ。

これを読んだグリフォン様はこう書いた。

ツイッターは、うーたらで、こーたらで、あーたらだ。

ツイッターは、うーたらというがあれやこれや。こーたらというがあれやこれや。あーたらというがあれやこれや。つまり自分が要望するのは正しい。

まず前提として、おれの書いたことへの反論になってません。違うことについて書いてます。何故そんなことをしているのかと言えば、誤読してるか、意図的に歪曲したとしか思えないんですが、いかがですか?

そして、それをおれが指摘したら、誤魔化そうとして、さらにおかしなこと言い出して、にっちもさっちもいかなくなっているとしか思えないんですが、どうですか?

いいかな? グリフォン様が誤魔化そうと書き続けたことはこう。「自分はお前の言ったことより、もっと広い範囲(この言葉はなんでもいい)のことを言っているので、結局お前の書いたことの反論になっているんだ。だから、誤読も歪曲もしていないし、あえて一部分削除したのもおかしくない」(この要約が違うというなら、さらに解説されたし)。

そんな屁理屈を後から言い出して、最初に上記のように書いてしまったことが肯定出来ると本気で思っているのかね? しかも、この屁理屈がまた拙い。結局肝心の、おれが書いた「アプリ使えよという指摘は、多いに説得力を持つ」に対する反論は含みようがなくなって、捻り出した屁理屈は、

ほかの人たちが私個人に「アプリ使用を薦める」話とは、DMチェックという別手段で済んだそれは自分個人の利便性や選択の話で、別に語るまでも無くその時点でそのテーマは消滅。

ですと。もう一度書くよ。勝手に消滅すな(笑)。時系列をごっちゃにして、そんなこと書いても、その時点における「アプリ使えよという指摘は、多いに説得力を持つ」という話に何ら関係はない。と、こっちが指摘したら、今度はどうだ。

「せっかく薦めた人たち」とかセンチメンタルな話を入れたり、「痛さを笑っている」という美学的なオハナシに持っていってるけど、それって結局別物だったってことじゃん(笑)実は”本題”であったはずのところが「引用でアプリ云々の部分を省略したこと自体は、その論理だったら歪曲だ、アンフェアだとは言えなくなった。だから美学的な”痛い”とかの話に切り替える」ということですかな(笑)。

別物なら、「一部引用削除して歪曲」の件で延々お書きになった、グリフォン様の理屈、全部自分でワヤにしちゃったということだと思いますが、いかがでしょうか?

反論のつもりの意味論ですら、こうなのだ。しかも、この細部2点、おれは、どっちも手続き論について言っている。何回もそう書いている。

にも関わらず、何故それを無視するのか。不思議。……いや不思議じゃないか、手続き論であること認めたら、グリフォン様の書いてることが反論のフリすら出来ないものな。だから、こちらが手続き論だと言っても、執拗に反論になってない意味論を繰り返す。

グリフォン様、相当控え目に見積もっても、必死に誤魔化そうとしております、としか表現しようがないんだが。

 * * *

さて「逃げた」「論がない」「議論ならつきあう」と、おれを挑発なさったグリフォン様は、「論」「議論」について、こう言った。

感情的な罵詈雑言のみの文を控えるように、というのが一番メインの意味です。

実際のところは、グリフォン様にとっての「議論」とは、今回の長いやり取り、特に上記細部が特徴的であるように、わずかな自分の瑕疵も認められず、とにかく反論ごときものを書き続ければいいと考えているふしが、随所に見受けられる。繰り返すが、グリフォン様にとっての「議論」とはそういうものなんだろう。別にそれが悪いとは言わない。なるほどねという話だ。

「感情的な罵詈雑言」やらについても、少し触れておこうか。おれはツイッターを含め「感情的な罵詈雑言」など、もう十何年も書いた記憶がない。そもそもが、ネットで感情的になったことは、そろそろ二十年になるネット歴のごく初期、まだPC通信時代に数回あった程度で、少なくともインターネットの時代になってからは、一度もないと断言していいかと思う。ましてや、論なら常にある。グリフォン様にある程度の論ならば。

ちょっと「感情的な罵詈雑言」から「感情的な」を外して、今回のやり取りを、最初から読み返してみる。そうしてみると、この双方のブログでのやり取りで、「罵詈雑言」を繰り返しているのは、明らかにグリフォン様であるとしか思えないんだが。具体的な箇所を挙げると、これ幸いと細部に暴走するので、やらないけどね。

この自分の思いが客観的なものであるかどうかは、わずかな読者の判断に任せるしかないが、してみるに、グリフォン様の言う「感情的な罵詈雑言」というのは、「グリフォン様が感情的になってしまう罵詈雑言」でしかないというのを裏付けていくやり取りになっているのが面白い。

「せっかく薦めた人たち」とかセンチメンタルな話を入れたり、「痛さを笑っている」という美学的なオハナシに持っていってる

センチメンタル、美学的。まあグリフォン様にとっては、そういう感覚なんだろう。

つまり、グリフォン様のことを思う友人様が、グリフォン様のことを思って言うことは、センチメンタルだったり美学的な話で、そんなことはどうでもいい。グリフォン様にとっては、自分の「論」だけが大切。そういうことなんだろう。

この結論に、論理の飛躍はあるやなしや。