電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

不敬という当たり前の概念

もともと根っからの左巻きな為、このネタは結構気楽に書けるんである。

天皇にいきなり手紙が何か差出ししたら無礼だろ。当たり前のことだと思うんだが、どうも、そういうことを言うと、不敬とか戦前じゃないんだからという話になってしまい、言い出すと右翼にされてしまう風潮がある。

相手が天皇であるから問題が大きくなるのは当然だとは言えるが、寺社や皇族に対する無礼を単に不敬というのだ。それを不敬罪という刑法の罪にしたら、それこそ戦前だが、彼は国会議員なのである。ここで、自分はわざと陛下もつけず、天皇天皇呼ばわりするのと違うのだ。パンピー天皇に対して陛下もつけず、さらに言えば天ちゃん呼ばわりしたって、単なる不敬なだけで、何の罪にも問われない。しかし、国会議員が、恐らくこの国で最も礼儀が重要である場で、無礼を働くのは、言語道断を通り越して、その無知蒙昧ぶりを国民全員が悲しむべき事態。道義的責任が問われて当然なのだ。

政治哲学上は天皇制を否定せざるを得ない共産党であっても(今天皇制について公式にどういう扱いしているかは別として)、所属の議員が皇族系の典礼に出るとなれば、礼儀は守る筈で、システム自体を否定すべく行動に表したいなら、そういう典礼には出席しないというのが、唯一の回答だろう。出席したのなら、彼のように無知蒙昧で礼儀自体を知らない奴でない限り、礼儀は守る。当たり前のことなのだ。

アメリカの大統領だって、ヨーロッパの王族には礼はする。天皇にだって礼をする。いやむしろそれは大統領であるからこそ、頭を下げなくてはならないのだ。システム自体を否定することと、オフィシャルの場の礼儀とはまったく別物であることは理解できないのが、悲しいかな庶民。

モノを分かってそうな学者やら識者と言われる人間すら、分かってない奴が多いようで、まったくどうなっているんだ。本来この話は、天皇の政治利用とか、そういう抽象論など、二の次三の次の話である筈だ。

こうして、戦後の開かれた皇室政策は、無知な庶民どころか、ほとんどのメディアと国会議員にまで誤解され、誤ったベクトルの論点が拡散され続けていくのである。