電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

電子煙草の逆襲

せっかく、はてなブログに移行したので、記事を書いてみる。

電子煙草というと、新しモノ好きの血が騒いで、新製品が出るたびに色々手を出していたのは、もう十年前くらいの話。そもそも、紙巻煙草をやめる気がまるでないので、最近の電子煙草にもあまり興味が出なかったのである。

勿論、外に出ると電子煙草喫煙者(ほぼ「iQOS」)が増えているのは実感するし、実際に吸っている人も多くなったので、吸い心地やら何やらを訊いてみることも多かったのだが、どこか他人事。紙巻だと、最近ではベランダでさえ吸えない人も多いようだが、自分は一人者、家に帰れば普通に部屋で吸えばよい。

きっかけは湯治旅行である。6月のアタマに箱根に湯治にいった。クラシックな富士屋ホテルに泊まってみたかった。いい気分でいい旅行だったのだが、このホテル、全室禁煙なのよね。

http://twilog.org/nagao_memo8/date-170605
http://twilog.org/nagao_memo8/date-170606
http://twilog.org/nagao_memo8/date-170607

 勿論、それを覚悟して行ったのだけれど(思ったより喫煙所が多く、特に不便はなかったのだが)、行く直前に、やーこれはいざとなったら電子煙草をバスルームで吸うなりして誤魔化すかーと思ったのだ。現在、圧倒的なシェアを獲得しつつある「iQOS」ではなく(これは水蒸気の煙とはいえ、そこそこ匂いがあるのは他人が吸うソバにいれば分かる)、匂いがほぼないと宣伝されている「Ploom TECH」に興味をもったのだ。匂いがほぼないなら、公衆の場所でアレしたらダメでも、ホテルの部屋の中なら、別にいいんじゃんアレして。

比較検討材料として「iQOS」は入手できた。オフィシャルサイトに上手く登録できず、結局近所のコンビニを数件回って、最新じゃないバージョンのハードを割引価格ではなくクソ高い定価で入手。ところが、肝心の「Ploom TECH」は旅行までには入手できなかった。それでも興味は持続し、いてもたってもいられなくなり、ネットのオークションで大枚はたいて入手した(14,000円程度、現在も品薄状態は続き、1ヶ月程度経った今ではもう少し相場が上がっている感じ)。

「iQOS」はダメだった。

・不味い。
・煙が熱いのがヤだ。
・時間切りされる圧迫感がもっとヤだ。

「Ploom TECH」は、おれ的には合格。あちこちに書かれている通り、煙草吸ってる感は「iQOS」より弱い。が「iQOS」は未だにむせたりするから、返ってそのくらいの方がいいような気がする。

・iQOSよりかなり美味い。
・時間切りがないので、ひと吸いふた吸いで止められる。
・逆に延々吸ってもいられる。
・ペン回しが出来る!

問題は、充電するのが本体なので、その間は吸えないことで、従って1セットだと足りないこと。なので、2セット目を買おうとオフィシャルをウォッチし続けていたら、ネット販売の抽選は落ち続けているものの、東京でも始まったリアル販売の方で予約出来てしまった(今月末入手予定)。

そうそう、現在15箱目くらいだが、リキッドが入ってないカートリッジがひとつあったぞ(まったく煙が出ない)。この歩留まり対策とかも考えなくちゃいかんのは少し面倒かも。

誰に言ってるのかよく分からんが、紙巻やめる気は、未だまったくないけどね。

移行完了

はてなダイアリーから、はてなブログに移行してみました。

だからどうしたという感じではある。

フォースと共に自爆テロ

年末にもなって、今年2度目の更新であるという体たらく。しかも、またスターウォーズの話かよという。

さて「ローグ・ワン」に対して、こう呟いた。

ローグ・ワン」。フォース教、怖い。全編これ自爆テロとバンザイアタック。まあ面白い事は確かなんだが。ギャレスも才能あんだか無いんだかよく分からないけど、少なくともセンスは感じねーな。確かに、マイナーでもっと作家性の強い作品撮って、もう一度何かを証明すべき。 #eiga

まあ、実際はもうちょっとゴチャゴチャ呟いたんだが、基本はこういうことで。

ところが「ローグ・ワン」という映画自体は、本国米国では、オルタナ右翼が上映反対運動(?)を始めてしまったらしい、つまり、そういう民衆の側の映画という解釈が当たり前らしい。

ISを生み出してしまった(?)、米国の帝国主義を棚にあげて、なーに言ってるんだかという気がするわけだが、こういう見方(つまり、ドニー・イェンに象徴されるフォース教への狂信性が気になった自分のような感覚)は、米国どころか、日本においても少数派らしい。

スターウォーズの場合、シリーズ通して、帝国軍は、ありがちな、ナチス暗喩の全体主義の圧政集団として描かれるわけだが、実際の映画の中では、デススターで都市どころか惑星ごと破壊するという圧倒的な悪事を働くものの、事がデカ過ぎて、あんまりリアリティがないというのもあるし、実際に民衆を弾圧する模写というのは、ほとんど描かれないのもあって、帝国ってそんなに悪いんですか感が結構あって。

まあ、所詮がスペースオペラだから、帝国は最初から悪であって、そこに戦いを挑む反乱軍の神話だというのが、物語の基本構造でもあるので、そこに文句つけてもしょうがないと思うんだが、フォースだって、結局、理「力」という力なんである。事実エピソードの2や3あたりでは、選民であるジェダイが共和国を治めていたりして、ナチスが左側からスタートしたように、帝国軍は、実は帝国的要素よりも最初は左(つまり権力簒奪の過程においては民衆の側)で気がつきゃ圧政を行う独裁者という可能性はかなり強そうにみえる。第一、絶対悪のシスやベイダーだって、フォースのダークサイドだもんな。

要は、フォースなんてなきゃ、みんな幸福になれそうな気がしないでもないのである。

フォースも希望も、帝国の側にだってあるわけだしなあという、何かあんまりオチずに〆らない話で、今年を仕舞っておく。


【追記】

エピソード5を観ていたら、ローグ2やら3やら出てきて、つまり「ローグ・ワン」とは「爆弾三勇士」とか「死んでもラッパを離しませんでした」と同じである事に気付く。控えめに言っても硫黄島星条旗だ。やっぱ、フォース教、恐い。

スターウォーズとロッキーどっちが強いか、あるいはフォースの隔世遺伝

スターウォーズ フォースの覚醒」と「クリード」が、両方とも本歌取りの面白さにも関らず、何故か両方褒めてる人は(語りたがりのツイッターにおけるマニア層には)あんまりいないで、どちらかを褒める人はどちらかを貶すというパターンが多いようで面白い。御多分に洩もれず、自分は「SW フォースの覚醒」はシリーズNo.1の傑作じゃね? で「クリード」の方は泣けたけどベタ過ぎで臭せーよというもの(少数派な気が)。

突っ込もうと思えば突っ込めるところは、どちらもかなりあることも確かで、一人きりでハングリーに育って、日常的に棒振り回していたとはいえ、レイ強過ぎだろ(逆に言えばダークサイドのパワーはあんなもんかよ)とか、同じジムの選手をカマセに使おうとするだけならまだアレなんだが、ロクにプロ実績ない奴を自ジムのホープ(しかも実の息子)にぶつけるのはさすがにどうなの(な挙句ホープ惨敗)とか。まー映画だからね。観てる最中(加えて翌日くらいまで)、気持ちよくさせてくれればいいとも思うので、この当たりはどうでもいい。

繰り返すが共に本歌取りの面白さなんである。繰り返しネタを微妙に変形してブッ込んでくるからこそ、昔のを観てると余計に楽しめる。

んじゃ本歌取りの部分を離れて、お話の構造はどうなのというところを比べてみる。

端的に要約してしまえば「SW フォースの覚醒」は、自分は持たざる者と思いハングリーに生きてきた少女が、実は銀河イチの持ってる者で、さらに高みを目指すと決意するところまでを描いていて、方や「クリード」は、幼少期こそ孤独でハングリーだったがある時期から何不自由なく育ったものの、心にダークサイドな劣等感を抱えていて、それをボクはここにいていいんだと晴らす話だ。

ツイッターで呟いたけど、「クリード」は構造が名作マンガ「がんばれ元気」に似ている。似ているんだが、元気くんは心にダークサイドな部分を抱えてない(ところが先行する「明日のジョー」の裏をきれいに取っている)。ハングリーだった時代ですら、いい思い出として抱えていて、どこまでも前向きだ。ところが「クリード」は違うんだな。結構ウジウジしてる。おれはどーせ間違って生まれてきたんだ的に。一皮剥けばシンジくんそのもの。

そこが嫌だからこそ(勿論だからこそ好きという人もいるだろう)、話がベタ過ぎだろとか、彼女の存在自体が最大のカマセとか、そういう部分でイチイチ冷めてきちゃうんだな。ボクはここにいていいんだ話はそういう映画で観る。ファンタジーなんだから、貴種流離でいいじゃん、持ってる奴は最初から超持ってるで。

勿論「SW フォースの覚醒」がいいのは、レイ役のデイジー・リドリーがナトリー・ポートマン顔(もっとはっきり言えばおれのキーラにクリソツ)ってことなのは言うまでもないんだが。覚醒遺伝、否、隔世遺伝したんだね。このオチ酷い。

身体を作ったら次は頭を作って最後は作品を作りたい

うーん、去年は全然ブログを更新しなかった。ツイッターでそこそこ書きたい欲が満たされてしまうのと、それどころじゃない精神的圧迫感があったというのも確かで。その結果としては、一応これ。

https://twitter.com/nagao_memo8/status/682431654019739648

三十代の半ばだったと思うが、ジーパン(という呼ぶのも、何だかもう恥ずかしさがなくなってきた)が30インチでキツくなり、31を飛ばして一気に32インチにした。で、一生これ以上のサイズにはならないと。しかしだ、これがここ数年かなり厳しかったのよね。一番上のボタンが留めると苦しかったり。無理して留めるとその上に余ったお腹が乗ってて。映画館で映画観る時など、見始める時に盛大にボタン外してた(リーバイの501が好きなので前は全部ボタン)。

これが32インチがブカブカになり31インチに落とした。なのでついでに一生の誓いを修正した。もう32インチにしは一生しない。つまり31インチを維持する。今のところまだ余裕がある。多分30インチで大丈夫なんだが、あんまりタイトに履きたくないのよねジーパンを。楽に履けないジーパンはおれ的にはジーパンではないという感じで。

心臓を壊したお陰で(と言ってもういいと思う)、明らかに健康に意識的になり、結果として身体作りが出来た。これからは攻めじゃなく守りになるので、あまり楽しくない戦いになっていくわけだが、まあ何とかする。

身体だけ作っても、アタマすっからかんで、馬鹿になっては意味ないので、英語の勉強は地味ならコツコツ続けていた。英語だけじゃなく、この歳になっても何でも学ぶという意識を自分の中に叩き込んだつもりもある。記憶力の衰えは相変わらず厳しいから、英語みたいに、憶えるという要素が必要なことは益々ツラくなっていくばかりだが、今年からさらに頭脳的には攻めに回る。肉体的には守りの戦いになっていく分。

あと何年残されているのか、もう秒読みに入っている感が相変わらず強い。あと10年、いや12年で65歳だ。そのあたりで燃え尽きたい。その為には、もうホントに時間がない。攻めないと。

そろそろ、中年ではなく初老と言われておかしくない歳だ。白髪も相当増えた。けれど結構燃えているのだ。がんがん行くぜ。諸々。

極私的音楽映画ベスト10

毎年恒例、washburn1975さんのベスト10今年は音楽映画。
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20151031

ちょっと詳細内容書く時間がないんだが、それは年内にこってりした奴書くとして、取り合えず順位のみ(かなり練った)。

1位)「ヘルプ! 四人はアイドル」1965年 リチャード・レスター
2位)「鴛鴦歌合戦」1939年 マキノ正博
3位)「サウンド・オブ・ミュージック」1965年 ロバート・ワイズ
4位)「味園ユニバース」2015年 山下敦弘
5位)「ストリート・オブ・ザ・ファイヤー」1984ウォルター・ヒル
6位)「血と砂」1965年 岡本喜八
7位)「ハーダー・ゼイ・カム」1973年 ペリー・ヘンゼル
8位)「リンダリンダリンダ」2005年 山下敦弘
9位)「ブルース・ブラザーズ」1980年 ジョン・ランディス
10位)「ソラニン」2010年 三木孝浩

詳細後日。

いやー映画って本当にいいもんですね!(お茶濁し)。
詳細は年内に絶対書く!(いばるな)。

荒れ野の70年(なのか?)

何かざっくり検索かけても、ヴァイツゼッカーの名演説と関連で、今回の安倍パイセンの談話を語ってるのを見かけないので、ツイッターで呟いたままを、そのままこっちにも載せておく。

首相談話、嫌いじゃないな。右顧左眄じゃなく、バランス取れてると表現したい感じ。パイセンがんばった。

てかパイセン単に成蹊出でモノ知らないお坊ちゃんなんだから、そんなこと言うとこうなっちゃいますよと優しく諭してくれる説得力ある人がソバにいれば、そんなに暴走しない気がし始めた。

真っ向からヴァイツゼッカーの歴史的談話に対立する内容を持ちながら、結構謙虚で謝ってるという。

戦後生まれのドイツ人が、ヒトラーとナチの犯罪の責任を取り続けなくちゃいかんのかと言われたら、そりゃ違うだろとは思うので、ここは安倍パイセンに賛成。

大体、国というか、時の権力がやったことの責任を、後から生まれた末端の庶民が取らなくちゃいけないって、それはさすがに違うと思う。

んじゃ、おめーはドイツ人の若いの捕まえてユダヤ殺したろって責めるのかって話だよな。おれの知ってるドイツ人みんないい奴だぜ(一人も知らないけど)。

やっぱ今回の安倍パイセンの談話は、ヴァイツゼッカーを意識してるんだな。構成そっくりだわー。/「荒れ野の40年 ワイツゼッカー連邦大統領演説全文」 http://r.binb.jp/epm/e1_6434_07022015122740/

ヴァイツゼッカーにあって安部パイセンにないのはここ。「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります」。

おれからすれば、日本の罪を引き受けるのは、日本人だけではなく、世界中の人間である筈だというのは、当たり前の感情。それを政治家がどう政治的に表現するか。その意味で、今回のスピーチライターは充分がんばった。