電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

ハコ入り娘の話

実は、女子だけの話じゃないことを書こうとしているんだが、まあ、尾薗さんや佐伯さんやが言っていたことに対して、やや否定的なことを書くことになるので、一応この連載の枠を使おうと。まあ興行論みたいなもんだね。

スマックガールは後楽園でやり続けて、それが無理あり過ぎたんじゃないかという話。

実は、この一点に関しては、自分は篠さん派なのだ。つまり後楽園でやるべき派。というか、後楽園路線を継続したの、おれだし。まずは、スマックガールの歴史とハコの関係を紐解いてみる。

2001年は渋谷のクラブアトム。2002年はディファ有明(だが、北と南の後ろを開放しないスタイルB)、2003年は六本木ヴェルファーレ。このあたり、正確な入場者数は把握してないけど(2003年はもうスタッフとして参加していたけど、そのあたりの部分は、まだほとんどノータッチだった)、2002年は間違いなくハコのキャパが倍増(以上)しているし、ヴェルファーレは、まあ席をどう設定するかにもよるんだが、さらに微増という感じだと思う。

で、2004年から本戦メインは後楽園(勿論、東京以外や、2005年の代々木第2という例外もあり)、Fは小箱(大森や下北)という階層化をして、基本的には、その体制が2006年末まで続く。で、2007年に、初めて、本戦で、新宿フェイスを使うことになる(Fとの二階建て興行)。

当時の自分の認識では、フェイスは、本戦で使うには小さく、Fには大きい。というものだった。実際、後楽園ホールの入り口でカウントしている数(オフィシャルが発表する数とは勿論かなり違う)を、そのままフェイスに平行移動させれば、超満員間違いなしなのだから(数百人を立たせなくていけない)、そんなに間違った認識ではないと思う。

ところがだ。2007年に、3・5月と2回本戦をやってみて、あれれという感じだったのだ。実際のところ、3月は、しなし選手がメインだったこともあり、ほぼ満席で、立ち見もそこそこ(勿論、発表は超満員)。5月は、空席が少しあり、8割という感じの入り(勿論、発表は満員)。

実は、この3月と5月、ハコ代以外の予算は落とさなかった。従ってカードも悪くなかった筈だ(5月はやや弱かったとは思うが、かなり無理してガイジン2人呼んでいるので、むしろ予算は増えた)。

後楽園だと席に余裕があるので、それなりに出していた招待を、フェイスだと押さえたというのもあるんだが、それでも、計算が合わない。明らかにフェイスに変えたら、一般客は減ったのだ。

つまり、興行の内容をハコのサイズ(やら名前)で判断する層は、それなりの割合でいる。これが自分の結論だ。自分個人のように、後楽園より、フェイスや下北の方が熱気もあるし、面白いじゃん! と思う層は、ごくごく限られたマニアにしかいないということ。

さらには、もうひとつ。ハコ代以外の予算を同じに設定したら、500人しか入らないところでは採算の取りようがない場合でも、1500人入るなら取れる可能性があるということ。つまり、ハコのサイズを下げることは、可能性も捨ててしまうことになる。当たり前の話になるが、500人でやるなら、それで採算を取るべく、予算自体を落とす必要があるということ。まあ、2007年スマックの場合は、二階建てにすることやら何やら、単体赤字(になることが、やる前からわかっていた)でも、他に試してみたいことが色々あって、やったこと自体は、新しい挑戦であったことも確かで、それが、あの時点での最善の策だったとは思っているが。

DREAMや戦極を見ていると、もうひとサイズ落として、熱気上げればいいのになあとは、自分もよく思う。思うんだが、やはり、サイズに拘るのも正しいと言わざるを得ない。つまり、あるサイズを設定したら、そこを埋めるべく、営業するのが興行としてのあるべき姿で。勿論、その営業経費で赤字がカサむなら、そこを投資とみなすべきだし、それを、どこまで投資し続けるかは、経営者のバランス感覚と体力次第だし、結果として、おれの心は確かに折れたんだが。

11月8日のヴァルキリーは、ディファの北側を潰さないフル仕様。北側を潰していたスマックの後楽園と、実席数は、そんなに変わらない。どうせ埋まらないではなく、埋めるんだよ!!!

と、大見得切って内心ガクガクブルブル。