電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

最後の正しい左翼

自分は昔読書家だった。それがもう最近はさっぱりで。と言い始めてもう10年くらい経った。つまりこの10年くらい、ほとんど本を読んでいないということで、さらに言えば、そういう自分に危機感を感じなかったのが、この10年だった。簡単に言ってしまえば、本を読む必要に迫られなかったわけで、単に暇を潰すなら、ネットとかネットとかネットとか他にいくらでもあるし、実学的なモノだっていくらでもネットにあるし、つまり、何故本が必要かといえば、それは心のもっと深いところから何かを求めるというか、沸き起こるような読書欲というか、そういう心がなかったわけだね。

だから、この10年の自分の人生は、とても楽な人生だった。迷いがなかったから。その前の5年くらいは極端な迷いの中にいたのだ。迷いなくひとつのことに邁進できることは、とても幸せなことで、恐らくそういうモノをしっかり持っている人は幸せな人で、では自分もそうなのかといえば実はそこはちょっと違うのだが、外から見たら、そういう人と自分の違いなどはわからない筈で、であるならば、自分は幸せだったのだ。きっと。

一昨年の暮れにスマックガールから完全に身を引いて、自分はそれまでの10年に区切りをつけた。楽な人生は、そこで終わったのである。

勿論、楽というには語弊がある。格闘技に関わったせいで、経済的にもボロボロになったし、かと言って、何かを評価されるわけでもないし、あれほど物理的にキツい作業はなかった。でも、その時の自分には本は必要なかったのだ。

完全引き篭もりの数ヶ月を経て、結局、また女子総合の世界に片足を突っ込んでいるわけだが、あの頃と確実に違うスタンスで女子総合に接している自分がいる。心は迷いっぱなしだ。だから楽ではない。本がまた必要になった。ただ、そうやって迷うことが、本来の自分なんだなという実感がある。不思議なもんで、きっと不幸なんだが、その方が自分らしい気がするのだ。

そんな最近の自分に一番腑に落ちた本がこれ。「リアルのゆくえ──おたく/オタクはどう生きるか」。というのも変な表現だが、まあしっくりきたという感じで。自分がこうして取り上げるのには珍しく比較的新しい本で、去年の夏に出た。



対談集であるのに、異様に難解な本だ。強引に内容を要約すれば、自分とほぼ同世代(いわゆるオタク第一世代)の大塚英志が、自分よりひとつ下の世代(第二世代)の東浩紀に、お前の人生間違ってるだろと延々絡んでいるだけの本。多くの人には、何故、大塚英志がここまで苛立っているのかわからない。が、その苛立ちが痛いほど、自分には突き刺さったんだな。

自分がよく本を読んでいた頃は、単なるオタク系の人としか見えなかった大塚英志という人を見直した、いや発見したのは、「物語消費論」「だいたいで、いいじゃない。」あたり。出版されたのは10年ずれている2冊だが。後者は戦後思想界の巨人、吉本隆明との対談集で、実はこの2冊、もうほとんど本を読まなくなり始めた頃(世紀を跨ぐあたり)に読んだもの。

大塚英志は、最後の正しい左翼だ。凡百の書き手と違って、ビジネスわかっていて、ちゃんと儲けているところがニクたらしいけどね。