電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

ひとつなぎの財宝を目指して

この3週間ほど、人生7番目くらいの忙しさで死にそうになっているんだが、それが実際にどのくらい忙しいかは別として、何でそんな風に思ってしまうのかと言えば、複数の仕事がバッティングするからで、現在のプラオリティとしては、本業優先で(そりゃさすがに生きていかなくちゃいかんのですわ)、かと言って、あまりに他のことを待たせるわけにもいかず、せめて言い訳したり調整したりする時間は割かなくてはならず、そういうのにかける時間は大してかかるわけじゃないと言いつつも、やはり心のどっかに負担がかかることが「ああ忙しい」と感じる原因であるという。珍しく、紙にToDoリストとか作って、机の前に貼ったりして、普段はPC上の付箋ソフトで十分なんだが、それじゃ整理しきれない事態になっているという。

そういう状態だと、ブログを書くことは、まさに数少ない息抜きタイムなわけだが、書きたいことがいくらあっても、真っ当でいい文章に仕上げようと練ることは、ストレスの塊に突入することでもあるので、勿論それは楽しい作業とも言えるんだが、やはり純粋な息抜きタイムという感じではない。

だから、大河ドラマとかスーパーヒーロータイムについて書くのは、さほど文章も練らないで済むし、貴重であるとも言えるんだが、実は自分にとっての最高のリラックスタイムは、ここ数年「少年ジャンプ」だったりする。否、正確に書けばジャンプというより「ワンピース」なのだ。

現在の新章(今のインペルダウン編はシャボンディ諸島編とは別章といえなくもないが、続きとみれば)に入ってからの、旧キャラ新キャラ入り混じっての乱戦模様は、これはもう堪えられないくらい面白く、まさに月曜の朝が待ちきれない状態というか、大抵の場合は曜日が変わる頃に近所のコンビニにジャンプを買いに行くことになる。

何が凄いって、6月に54巻が出たマンガなわけである。なのに、このテンションの維持と益々冴える緻密な構成力。絵の構成だけでなく、ストーリーの構成力が凄いのだ。ちょっと前に登場して、おっさん読者は全員痺れまくった、シルバーズ・レイリーというキャラにしても、ボア・ハンコックというキャラにしても、かなり昔からキャラ設定がなされていて、作者の尾田栄一郎の作品全体の構想にまったくブレがないことは、単行本のオマケで作者自身が述べている。最初から最後の一点目指して進んでいる感じなのだ。なので、ジャンプにありがちのインフレ感がないまま、ストーリーの厚みは増し、世界観は深まるばかり。

最近のマンガは長過ぎることが問題みたいな話を、それが作品論からの話でなく、竹熊健太郎がよく書くような業界構造論的な話を含め、よく見かける。「ワンピース」にしても「キャラが一杯出過ぎて、もう何がなんだかわかんなーい」的な感想はあるらしく、そりゃ確かにそうかもしれない、54巻読み続けている人は、そんなに多くないのかもしれない。それにしたって数十万人規模でいるのは確かなんだが。

それでもと思う。「ワンピース」の場合は、これだけの長さが必要である必然性かあって長いのであって、かつ、その長さを継続するだけの商業的な成功を得ているからこそ続くのであって、その辺りを含め、ここまで面白ければ、いくら長くてもいいのだというのが、読者としての結論。是非とも、おれが死ぬ前日まで話を続けて欲しい、その日に最終話を迎えて欲しい。「よし、ワンピースも終わったか、おれの人生もオシマイ」みたいな。