電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

他人の不幸は幸福の出汁

さあ、今年も12月だクリスマスだ、世界中の人々が、白黒抹茶小豆ういろう柚子あと何だっけ、皆様幸せになりますように(白々)。

太宰が、家庭の幸福が諸悪の基という結論に至ったように、自分にとっては自らの幸福を願う心こそが諸悪の基というのは既に確定事項であり、みんなが不幸でいいやと開き直るくらいであると、これこそが最小不幸世界の実現に至るわけだが、そんな開き直りをする人間の方が少数派であるのも自明の理、おれなんて不幸でいいやと思った人間はやはり不幸になるわけであって、問題は幸福になりたいと願う人間の中からも、残念な事に不幸になる人間がかなりの確率で発生してしまうことであり、かと言って不幸でいいやと思うことで、その落ちこぼれる痛みは若干は和らぐことは間違いないのだから、やはりあまり無理な目標は立てない方が人生楽に過ごせるのだよ、などと言っていると世の中は益々ゆとりが充満し、景気は回復しないわけで、やはり少しでも多くの人に幸福を勝ち得たいと願って頂いて、その結果、幸福になりたくて努力もして、それでも落ちこぼれる人間がある確率で発生するのは、これはもう他人の幸福の出汁、翻って、自らの幸福を放棄した少数派の人間は、他人の幸福の一番出汁みたいなもんであり、真っ当な不幸を生きていると考えればよいのである。