電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

僕が泣く

毎月、電気が止まりそうになってから、支払いにいく。もう慣れたもんで、どの督促で実際に電気が止まるか、わかっていて、この種類の督促がきたら、この支払い用紙で払い込むというサイクルが出来上がっている。電気は、携帯と違って止まると困る。送電再開に、多少時間がかかるし、仕事が一切出来なくなってしまうし、何よりネットが出来ない。ネットが出来ないと、寂しさのあまり死んでしまうウサギちゃんのように、おれは死んでしまうのである。それとね、これは大したことじゃないんだが、電気が止まった夜は、あまりに真っ暗になってしまい、少しだけ、ほんの少しだけ、恐いのである。いやなに恐いと言っても、まあその、単に暗闇に慣れていないので、その程度だ。大の大人なのであって、本格的に恐いとか、そういうのではない。ほんとだ。

なので、電気の場合は、ここで止めるというギリギリで、ちゃんと払う。ところが、何ヶ月前だったか、忙しさのあまり1週間くらいポストに貯まった郵便物を、内容をチェックしないまま、まとめて放っぽらかしにしておいて、その督促を見逃してしまった。自分が気付かないまま、停止予告の日付、マンション入口のポストではなく、部屋の入口のポストに見たことがない督促状が入っていた。つまり、まだ止まらなかったのだ。

そうか、自分がこれで止めると思っていた督促状は、実はもうひとつ手前のモノで、まだ大丈夫だったのか、これが最後の督促なんだと思ったものの、いや、そんなことはない筈だと考え直す。以前は、あの督促状で確かに止まったことがあった。そういう痛い思いを経験して、人は成長するのである。だからこそ、おれもこれが最後の督促状だと学んだのだ。

ということは、そうか、これは人情か。

「ここの人は、別に払うつもりがないわけでも、カネが特別ないわけでもない、単に支払に行く暇がないだけなんだ、少し待てば必ず払ってくれる。しかも、部屋の規模の割りには、電力の消費が多い、いわゆるお得意様だ。だから、本来はここで止めるんだが、もう少しだけ待ってあげよう」

そういうことか。何も言わなくても、通じ合う心と心。ドアの外からでも分かってもらえる、おれの思い。きっと、そういうことに違いない。人の世は、情け。生き馬の目を抜く街で生きていても、たまには、こんな暖かい人情に触れて、ほっと息をつく。そうして、感謝の涙を活力に変えて、今日も、おれは、また生きていく。多分、おれの勘違いなんだが、そうだと思っていれば、少しは気分よく生きていける。