電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

筋肉痛と心の痛み

歳を取ると筋肉痛が2日目に出るというのは、俗説であって、科学的根拠はないらしい。かなり前にラジオでそんなことをやっていたんだが、臨床的というか体験的に2日目に出るのは、確かに多くの人が経験していることで、では、2日目に出るのは歳のせいではなくて何故なのか、その辺を明確に説明してはくれなかったので、イマイチ納得しきれない番組だった。

ところが、最近は、自分の筋肉痛、2日目でなく1日目に出る。いや書き添えておけば、30代頃から、2日目に出ていたのは確かで、ずっとそうだったのだが、この2年ほどは、むしろ翌日に普通に出るという感じに戻った。勿論、2日目もキツいんだが。

だから、実際のところ、何が俗説で何が科学的な説なのかは、自分でもよくわかってない。

では、心の痛みはどうか。例えば失恋の痛みであれば、ガーンと来てドドーンと深くなって、やがて、薄皮を剥がすように少しずつ少しずつ、痛みが取れていく。現象としては、筋肉痛に近い。が、こういう例はそんなには多くない。肉親や近しい者を失った痛みや、要は何かを突然失った場合くらいで。

多くの場合、心の痛みは、その根本原因に気付かないまま、深く蓄積され続けて、気付いたら、もう心が壊れる寸前だったりする。肉体の例を探せば、疲労骨折とか、そういう感じだろうか。最も、そこまで致命傷に至る心の痛みというのは、そんなに多くもないのも、また確かだ。昔は、すべてが「怠け病」で片付けられていたウツ病や、「ちょっとおかしな人」が統合失調症という名前で、立派な病気として認定されるようになったからこそ、余計その発病を助長しているなんて側面も確かにあるとは思う。

ストレスを上手く逃がすコツなんてモノもある。これがウマい人もいれば、ヘタな人もいるし、ストレスの根本原因に気付いていても、その原因が生きていく為に、どうしても回避出来ないことである場合もある。

筋肉痛とは、基本的には、筋組織が破壊されて、それが再生・増強される時に発生する痛みの筈であって、その伝でいえば、心の痛みもそれと同じ筈なのだ。

つまり痛みを乗り切って、さらに痛みの原因を心にかけ続ければ、心の組織が強くなって、やがて強靭な精神を持つに至るのである。

この項のオチはやや迷う。

<オチその1>
と、自分でもまったく信じていないことを無理して書いてみた。

<オチその2>
その結果、持つに至った強靭な精神は、往々にして、ただの鈍感さである場合が多い。

<オチその3>
などとは、簡単に割り切れないからこそ、人は人であり、心は心なのである。

ううむ、難しい。というか、そんなのどうでもいっか。うん、どうでもいいと思うな。