電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

ツイッターによって得られたネットの市民権

アントニオ猪木ターザン山本が「プロレスの市民権」という表現を大昔にしていて、現在も関係者はそこを苦労しているだろうというか、世間との目、世間に認知されるという作業がまず最初に必要となる。

自分は、プロレスとは現在近接ではあるが異なるジャンルである総合格闘技の運営に関わっているわけだが、やはりそういう作業を意識する必要があり、つまりプロレスや格闘技に限らず、マイナーなジャンルに関わる人間にとっては、多分どんなジャンルでも同じことの筈で。

パソコン通信の時代から、ネットで遊んでいた自分のような人間は、かつてインターネットというジャンル(?)に対しても同様の感覚を持っていた。ネットとはマイナーなジャンルであったわけだ。自分が応援してやらないとモタないジャンルというか。勿論その思いは単なる思い上がりであったり、勘違いである場合が多いんだが。

昨日のエントリーグリフォンさんが書いている上杉隆に代表されるというか、著名人で「所詮ネットなんて便所の落書き」的な評価を下していた人が(あくまで象徴的な例であって、上杉隆が過去にそんなことを言っていたかは知らない)、ツイッターによってネットを再評価(初評価?)する場合は多く。いやいや、ネット自体を評価していなかったというより、自分以外の人間がネットしていると「暇な奴」とか「おれは違うぜ」とか言いたがっていた連中が、やる楽しさ(とその実用性)に目覚めたことによって、ようやく市民権を得られたというか。

ツイッター自体が「ミニブログ」というブログの派生系であることもあり、ツイッターをやる著名人が増えたことによって、「暇な奴」「おれは違うぜ」という過去のロジックが通用しなくなる。だけではなく、著名人がネットで変なことを書いて突っ込まれたりする。人間、ネットに書き続けていれば、過去発言との矛盾なんて、どんなに慎重に書いていても出てくるもので(経験談)、過去ログが現在の発言と併せて、簡単に参照出来るというネットの特性で、それはさらに顕著になっただけの話ではある。

つまり、いい事も悪い事もごっちゃになって、ネットはツイッターによって、やっとマイナーなジャンル(?)ではなくなった。そう実感している。ブログやミクシィでもまだダメだった市民権は、ツイッターでようやく獲得された。

その代わり、ネットをやる者同士の連帯感は希薄になりつつある。格闘技ファンや関係者には、未だマイナーなジャンルに関わるモノ同士の連帯感が成立しえる(ので、そこを何とか生かしたいところだ)が、ネットというジャンル(?)においては、ほぼそういうことはなくなってきたわけだ。勿論「VIPPER」とか「はてなブックマーカー」のように、ネット内ネットというか、より細部に連帯感を持ちうる小さい村・クラスタは未だに存在するわけなんだが、より細分化された村、クラスタクラスタというのは、どうしてもパワーを持ち難いもので。

ネットが、ようやく真の意味でインフラ化し始めているわけで、勿論、自分のような昔からのユーザーは寂しい感情も持ったりするんだが、それはもう年寄りの感傷、天邪鬼の僻みなのであって、時代はそんな思いをとっくに追い越して進んでいく。