電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

所詮自分はネット野郎風情

フゼイと読むんだぜ、風情。

考えてみれば、人のことをネット野郎風情とバカにしてきた関係者で、今じゃツイッターにずっぱまりしてる奴とかウジャウジャいるわけだが、ネットはやはり革新的なツールでありメディアであり、何より大切なインフラでした、メモ8さんの先見の妙に恐れ入りましたとか言ってくる奴がいるのかと思えば、勿論、そんな奴はキッパリ誰一人いるわけもなく、未だに紙の奴らは実はネットを馬鹿にしていて、しかし、こういう軽薄な奴らこそが、実は匿名掲示板で関係者情報を得意気にリークしてた層とカブっているんじゃないかと、密かにニラんでいるんだが、この推測は多分当たっている、所詮、超マイナーな業界である格闘技の世界にいる関係者風情がよ。

そういえば、「芸人」という言葉は、益々侮蔑表現、差別表現としてのニュアンスをなくし、普通に肩書きだと思っている人が増えてきた。例えば、勝手に製作者が肩書きをつけている、NHBNewsのリンク欄で、水道橋博士の肩書きは最初から「芸人」だった。あれに差別意識・侮蔑意識が篭っているわけはないんだが、自分だったら、絶対そんな肩書きはつけない。単に知らないで使っているわけである(と思って今見たら、肩書きなくなっていた。そうか忘れていたが、おれが文句言ったんだっけ)。

「芸人」という侮蔑表現であるからこそ、「この芸人風情が」という言い方が成立するわけだ。「風情」を広辞苑で引いてみると、例文は「町人風情」。岩波国語辞典でも、やはり「町人風情」。つまり、町人という言葉自体が差別的・侮蔑的・自嘲的表現なわけだね(自分の持っている辞書では明鏡国語辞典だけが「足軽」だった、足軽が侮蔑的表現であることは論を待たない)。

逆に言えば、侮蔑表現であるからこそ、「私なんぞネット野郎風情が偉そうな事を言いまして申し訳ありません」というような慇懃無礼な自嘲表現に、風情が出るのである(勿論この場合の風情は違う風情であって、わざとゴッチャにするのが、おれの悪い癖)。

ただ自分の場合は、自称も「ネット野郎」なのであり、それは自分が自嘲表現を使うのが好きという単純な理由による。東大出の大江健三郎が使って、慶応出の栗本慎一郎が激怒した「私学の文科」という表現が自分は大好きで(と何度も書いている)、自分の学歴を書く時は、必ず「私学の文科を中退」と書く。が、こういう自嘲表現は、自分で自嘲表現として使う分にはいいのだが、他人に言われたり書かれたりすると、てめえに言われたかねえよと思うのもまた確かだ。

バカにバカと言えば怒るし、ハゲにハゲと言えば怒るし、デブにデブと言えば怒るんである。

ちなみに、自分はネットで散々罵倒されてきたので、何を言われても怒らない。デブと言われてもチビと言われても怒らない。その通りでございますと言う。が、バカと言われると、自分では、それほどバカだとは思ってないと丁寧に反論するし、ハゲと言われると、チビでデブで短小で早漏で最近はやたら白髪が増えてきたもののハゲてはいないと説明する。

いや話がズレた。

差別反対とか言う奴に限って、ちょっと話してみると、色んな優越感と劣等感と心で激しく渦巻いていて、よくそんな人間の癖に、差別反対とか言えるなと思うことが多い。人種差別・民族差別は、いわゆるイワレのない差別であって無くせというなら、まあホントに無くなるならそれの方がよいと思うが(場合によってはあってもよいとすら思うが)、学歴差別や外見差別はしょうがないだろ、そりゃ。せっかく親が高いカネ払って塾通わせていいガッコ入れて、それで偉くならない方がかわいそうだぜ。外見差別だってそう。高いカネ払って、親にもらった顔にメスいれまくって、そこまでしてキレイになったんだから、少しは元取らな……あれっ。益々話がズレたかな。

元をかけて、必ずしも元が取れるとは限らないが、元をかけなきゃ何も返って来ないのは当たり前。努力も何もしてない奴が自分の境遇を嘆いても、それは愚痴にしかならないのも当然で、そういう奴に限って、人をネット野郎扱いしたがる(というより、自分以外を侮蔑したがる)んだよな。デブと言われてホントにイヤなら痩せればいいし、チビと言われてイヤなら秘密くんと秘密ちゃんを着用すればいいし、ハゲ……な方は複雑な感情を持つらしいので、おれは知らない。ヅラをカブればいいってもんじゃないらしい。

兎に角、行動の原則が、単なる僻みや妬みであるのは醜い。単なるレイトマジョリティー風情がネットなんて便利なもん、よくわからないまま使うから、そうなるんだ(と、大衆という言葉を言い換えてみました)。