電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

身体的なブレイクスルー

つい2日前に、フリック入力行き詰ってこれ以上早くならないと嘆いたばかりなんだが、いやいや待てよ、そろそろブレイクスルーしそうだという感覚が、ようやく訪れてきた。

この調子で行くと、1分100文字くらいで安定するところまで行けるかもしれない。

こういう実感を掴める瞬間は、突然やって来るところが問題で、それを認識してその感覚を身体に馴染ませ、いつでも繰り返せるように定着させなくてはならない。タイミングを逃すと、またしばらくブレイクスルーの神様は降りてこなくなる。と書くと多少大袈裟だが、これはスポーツ全般でも一緒で。反復練習と、その結果として、頭で考えるのではなく、自然に身体が反応出来るようになることの重要さというか。

というような経験則は、他人にはなかなかその微妙なところを教え難いことで、少なくとも中学生まで体育会だった自分に、そんなことを教えてくれる指導者は誰もいなかった。それぞれの練習の意味すら、わからないままにやっていたことも多く。だから、多くのスポーツにおいて、競技者年齢が伸びていることの背景には、ただスポーツ科学の進歩で肉体年齢の老化を遅らせることが出来るようになったからだけではなく、そのことで、より経験則を生かせるようになるということの方が、恐らく重要なのだ。

などと、高々「iPhone」の文字入力から、身体論を展開してしまう、おれって凄い。勿論、この場合の「凄い」は「馬鹿」と同義であるので念の為。