電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

新聞はタダでも読まない(光編)

新聞をとらなくなって10年以上になるが、最近ではビニールで梱包された「お試し版」が、もう頻繁といっていいくらいに投函される。

元々、大新聞様の記者の方々が、一般人に比較して知的に勘違いなされている中、元々、現場の販売は「1ヶ月でいいから」「洗剤あげるから」からに始まって、わずかに開けたドアに足を挟みこんでみたり、断ると世間的に大声と思われるような声量でお叫びになられたり、つまり肉体的に勘違いなされている営業が多かったわけだが、最近は新聞の営業をあまり受けてない。その代わりの頻繁な見本紙投函。

新聞営業の暴力性が問題になることは、その頻度の多さに比較すれば昔から少なかった。そりゃそうだ、自分達が報道しなければいいんだから。何回か問題にされたこともあったかとは思うが、自分がセールスで不快になった記憶の7割が新聞営業であって(頻度でいえばNHKもかなりのもんだが、NHKの場合押し売りとは言い切れない)、昔、押し売りされるものの代表格は、ゴム紐だった時代もあれど、これはガキの頃にわずかに記憶がある程度であって、控えめに見積もって、ここ40年押し売られる商品の代表は、新聞だった。

末端でそんなヤクザな営業をさせておいて、よくまあ、中央は知的に勘違いなされていますなという話なんだが、そんな話はどうでもいいとしても、例えばウチのマンションであれば駅に近いこともあり、チラシ類のポスティングが激しいこともあって、ポストの下にはそれ用のゴミ箱が置いてあって、そこに直行する新聞はご丁寧にビニールでパックされていて、勿論、そのまま捨てているのは、自分だけじゃなく、ああなんてもったいない、エコじゃないと思いつつ、時代は確実に変わっていくなあと思う。

実は、押し売りとやり取りするのは好きなんだよな。宗教の勧誘とかまで含めて。自分が弱いのは泣きの営業で、ごくごく稀に来る、新米営業がバッタもん(おかしなオモチャまがいの文房具とか)の、「いつもは5千円のところ、今日は千円なんです」とかの兄ちゃんと会話して、からかいながら、3つで千円までマケさせて買ってやり、「うふふ勝った」とニンマリ、しかしながら、それでも多分負けたのは自分なのであるが、そのやり取りの楽しさに千円。

この項、ミクシィに影編あり(マイミク常時募集中)。かなり強烈かも。http://mixi.jp/show_friend.pl?id=24157090