電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

検索性を下げて通読性を上げる

タイトルの「検索性」、この場合は、いわゆるSEO的なネット検索性の話ではなく、このブログ内の話。はてなダイアリーは、検索性を上げる工夫が色々されていて、そういう意味の工夫をもっとすべきなんじゃないかという指摘を、稀に受けることがある。つまり、カテゴリー分けとか、もっとしっかりして読み易くしろとか。

が、これは通読して頂ければわかる筈だが、自分は読み物としての面白さを優先しているわけで、情報の提供で人を寄せるつもりがまるでない。何回か書いている「ワンピース」の赤犬のモデルが菅原文太という話、検索から来た中では圧倒的な割合にはなったが、そもそも、このブログ、逆リン取れない、つまりローカルのブックマークから来ている人が6割を超えるブログであり(正確にいえば4割5部で、あとの1割5部は当ブログ内リンクだ)、圧倒的にリピーターの方々に支えられており、検索から来る人自体は全体の10分の1程度なのだ。

自分が若い頃、好きな作家のエッセイやら何やらで、書評なり映画評なりを読んで、自分の趣味を広げていったようなことが、このブログをキッカケにして起これば、それが最高だと思っている。だから、すべてを読んで欲しいと思って、検索性はわざと下げるようにしている。それは、つまり通読性を上げるということだ。

元々ブログなんて、大した量じゃなく、5年くらい毎日書いている人の過去ログだって、そこそこ面白ければ、数時間で、ざっくり読めてしまう。だったら、そういう読み方に耐えうるブログでありたい。そう思っている。

ミクシィツイッターを始めて、自分の文章を追いかける為に、ツイッター始めたり、ミクシィ始めたりする人がいて、何度でも書いておくが、実にうれしい。心の底からありがとう。自分はまったくの無名人であるが、この2ヶ月程度で、自分の文章を楽しみにしている人が、少なくとも直コンタクトがあっただけで数十人、ということは、間違いなく、その十倍くらいの人達が、メモ8の文章を楽しみにしてくれるということに、改めて気付き、ああやっぱり書き続けることは、自分にとって、力なんだと確信した。今のままのミクシィもブログも毎日更新という状態、これ、かなりキツいことは確かなんだが、いけるところまで続けてみる。その先に何があるのかは、まったくわからないけど、一番得意で好きなことを限界までやってみるということ、実は自分の人生において、あまりやってなかったりするのだ。一番得意なこと好きなことが、上手くいかないのは怖い。だから、あまり本気になりたくなかった。が、その先に何もなくても、その時はその時だ。