電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

頭から出任せを言う

最近は「朝まで生テレビ」と言っても、最後まで見ることはまずないのだけれど(そもそも見始めること自体が少なく)、昨日の会は、メチャクチャ面白く、最後まで観てしまった。面白さという意味では、猪子寿之というベンチャー兄さんのキャラが立っていたことが大きいと思うんだが、番組が引き締まったのは、ホリエモン東浩紀の出演と発言が、大きいと思う。

その東浩紀が「ツイッターはもう少し失言とかあってもいいと思う」とか言っていて、そうだそうだと、ツイッターで自分を鼓舞する意味も含めて、こんなことを書いてみた。

失言もいいねとヒロキが言ったから227は失言記念日

あるいは、

失言もいいねとヒロキが言ったから調子にのって暴言記念日

かと言って、どう失言してみせようか、暴言を吐いてみせようか、うーんと唸って考えこんでしまうくらいで、意図的に失言するのは非常に難しい。

ええっ? お前がそんなこと言うの? と言われてしまうわけだが、自分は異様に業界コード(なんてあるのか笑)に敏感な為、つまり、これは書いちゃいけないに決まっているよなあとわかりつつ、魂を梳りながら、そのコードを丹念に外していくわけで、つまり、普通に常識的に当たり前になったら、あれも書けないこれも書けないになるところを、おれならここまで書いても大丈夫だろうとか、これは話題になるから、おれ個人が叩かれても問題なしとか、そういうことを延々考えてやっているわけだ。

長年ネットで書いてきたから、というのもあるかもしれない。が、ただの無名人である自分だってこうなのだ。失言なんてしないように心掛ければ、そんなの簡単なことで、逆に言うと、失言癖がある政治家とか、あれは一体なんなのだろう。

答えは、簡単で、わざとやっているわけだ、ほとんどの場合。もしくは、ギリギリの線を狙っていて、微妙に越えてしまったか。こっちの方が多いかもしれない。

が、どんなに、考えて計算して狙って、微妙に失言もどき、逆にいえば、これはギリギリの線をついた、面白い発言をしても、その苦心は、なかなか理解されないということも当たり前の話で、やはり、失言・暴言するのは難しい。いや、単に、自分個人の常識の殻が、硬過ぎるのかもしれないが。